「The Girl You Left Behind」Jojo Moyes

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
戦時のフランスで生きる姉妹SophieとHélène、それぞれ夫が出兵し不在の中、子供達の面倒を見ながらレストランを経営する。

1916年、第一次世界大戦のドイツの占領下のフランスで、SophieとHélèneはレストランを営み続ける。そして、そこにはSophieの夫であるÉdouardの描いたSophieの肖像画が飾ってあるのである。そして、かつては地元で有名なホテルだったこを聞きつけたドイツ人将校は、2人、食材を提供するのでドイツ兵のために夕食を用意することを依頼されるのである。

一方で、並行して描かれるのは、2006年のロンドンに住む30代女性Livであり、彼女は建築家の夫と死別したのち、1人で夫が遺したマンションの部屋に住み続けている。そしてそこには、人の手を渡り歩いてたどり着いたSophieの肖像画が飾ってあるのである。

物語は、Édouardの描いた作品の価値が高まり、Édouardの子孫がその作品を子孫の元へと返すように訴えることで大きく動き出すのである。彼らの主張は、戦時にドイツ軍によって略奪されたものだから元の持ち主に返すべきということである。一方、早くに亡くなった夫からのプレゼントであり、その肖像画に愛着を持つLivは、お金のためだけに絵を取り戻そうとするそのÉdouardの子孫たちに返すのを避けるために、略奪によって絵がうばされたわけではないという証拠を見つけ出そうとする。

戦時中と21世紀という大きくへだたる時代のなかで、ドイツ兵、フランス、どちらの内側にも、善と悪が描かれている点が印象的である。誰もが戦争という大きな流れのなかの犠牲者でしかなく、そんな過酷な状況ではどんな人も強くいられず、潔癖でもいられず、時には、弱さをさらけ出し、人を傷つける言動をせざるを得ない。その場を経験した人間にしかわからないようなその空気感を見事に表現し、それを物語のなかに組み込んでいる。

今年最高に涙した作品。

「聖の青春」大崎善生

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
幼い頃よりネフローゼという病気を患い、それゆえに将棋と出会い、命がけで将棋を指して29歳でこの世を去った村山聖(むらやまさとし)を描く。
著者大崎善生(おおさきよしお)は「将棋マガジン」などの編集部に務めた経歴を持つ作家なだけに、「将棋の子」など将棋関連のノンフィクションが面白い。本作品も将棋に人生をかけた1人の男を描いており、その過程で、将棋界の厳しさが見えてくるのである。残念ながら僕の知っている棋士は谷川浩司や羽生善治ぐらいなのだが、村山聖(むらやまさとし)はその2人を何度か破っているというから、本当に将来を期待された棋士だったのだろう。
本書のなかで描かれる、常に自分の死を意識している聖(さとし)の生き方は、読者に一生懸命毎日を生きることの尊さを改めて感じさせてくれるだろう。
そして、改めて思ったのは、自分のなかに、物事にすべてを賭けて取り組むからこそ見える世界への憧れがあることである。本書のなかで描かれている、村山聖のいくつかの重要な対局のなかで「神が指したかのような一手」と呼ばれるものがあるのである。きっとそれは、何年も将棋に取り組んだものだけがわかる一手なのだろう。きっと、何年も将棋という世界に没頭しない限り、指すことはおろか、その凄さを理解することすらもできないような世界なのだ。
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「The Judas Child」Carol O’Connel

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
小さな町で2人の少女が行方不明になった。幼い頃双子の妹を殺害されるという経験を持つRouge Kedallは、2人の少女の失踪という類似性によって再び過去の事件と向き合うことになる。
物語は2つの側面から展開する。誘拐を解決するために動いているFBIなどの捜査側の視点と、監禁されている建物の中で、必死で生き抜こうとする2人の10歳の症状、GwenとSadieの視点である。
少女達の視点で展開される側では、それぞれの少女の個性が際立っている点が物語を興味深いものにしている。Gwenは副知事の娘で大人しく控えめである一方で、Sadieはいたずら好きで行動力があり、常にGwenをリードしていくのである、まだ10歳という年齢でありながらも固い友情で結ばれているゆえの2人の言動が見所だろう。
そんな一方で、Rouge KendallはFBIの人間と協力しながら、幼い頃に殺された妹、Susan Kendallの事件の真相を解明しようとする。一卵性双生児で常に一緒に行動し、ほかに友達を持たなかったことによって、幼い頃にRougeとSusanが見せた非科学的な行動には好奇心をかきたててくれるだろう。

たくさんの双子のを見てきたが、彼らのようなのは初めてだった。私がRougeの手術の準備をしているときに麻酔をかけた。看護師はSusanにガウンをかけて、マスクをつけさせた。だから彼女には針が見えなかったはずなのに、麻酔は彼女にも効いたんだ。まるで、2つの体を持つ1人の子供を扱っているようだった。

物語の舞台となっているのが非常に小さな田舎町なのだろう。それぞれの立場や職業が相互に依存しあっており、その結果として登場する多くの人物名のせいで、途中、やや話についていけない感も抱いたが、最後の数ページでそんな鬱憤のすべてを吹き飛ばされてしまった。正直、もう犯人なんてどうでもよくて、公共の場所で呼んでいたために涙をこらえるのに必死になってしまった。
挑戦するひとにはぜひ、途中の中だるみで諦めずに最後まで読み切って欲しい。記憶に残る本は、読後に喜びや悲しみよりもなにか喪失感のようなものを与えてくれる気がするが本作品もそんななかの一つと言っていいだろう。

「永遠の0」百田尚樹

オススメ度 ★★★★★ 5/5
祖母が亡くなって、実は祖父だと思っていた人が血の繋がらない人だと知った。本当の祖父は戦争中に特攻で死んだのだという。ニートの「ぼく」はライターの姉とともに、実の祖父のことを調べ始める。
太平洋戦争中に特攻で死んだ実の父宮部久蔵(みやべきゅうぞう)を探して、宮部(みやべ)を知る老人たちに話を聞くことで、少しずつ宮部(みやべ)の人柄が見えてくる。物語は存命中の老人たちが昔を語るシーンで大部分を占めている。そして、宮部(みやべ)はどうやら零戦のパイロットだったらしいと知る。
話を聞かせてくれる老人たちは必ずしも宮部(みやべ)に好意的な人たちばかりではない、「命の恩人」というものもいれば、宮部(みやべ)を「臆病者」と言うものもいる。いったい真実はどうだったのか。
数人の老人たちが異なる目線から太平洋戦争を語り進められていく。戦争とは多くの物語や映画などで何度も取り上げられるテーマではあるが、それでも今回またいくつもの新しいことを知ることができた。まずは、零(ゼロ)戦という戦闘機がどれだけずば抜けて優れていたかに驚くだろう。戦後の経済成長のずっと前の、まだ日本など小さな島国だったころに、その技術の結晶の戦闘機が大国の戦闘機を凌駕したのである。
そして、ミッドウェー、ガダルカナルの末に戦況は悪化し、その犠牲となった若者たち。そして特攻。経験者目線で語られる言葉に重みを感じる。

戦後になって、この時の状況が書かれた本を読んだ。士官の言葉に搭乗員たちが我先に「行かせてください」と進み出たことになっていたが、大嘘だ!そう、あれは命令ではない命令だった。考えて判断する暇など与えてくれなかった。

出世を意識するがゆえにアメリカへの勝機を逃しただけでなく、敗戦を認めることなく無意味な作戦を取り続け、結果として多くの若者たちが犠牲となった。
あの状況の中で「勇気」とはなんだったのだろう。「特攻は勇敢だ」と言うが、それが「勇気」なのだろうか。

しかし今、確信します。「志願せず」と書いた男たちは本当に立派だった──と。自分の生死を一切のしがらみなく、自分一人の意思で決めた男こそ、本当の男だったと思います。
死ぬ勇気があるなら、なぜ「自分の命と引き換えても、特攻に反対する」と言って腹を切らなかったのだ。

そして物語は終盤に進むにつれて、宮部(みやべ)の人柄と、その恐ろしいほどの零戦の操縦技術が見えてくる。

なぜ奴が真珠湾から今日まで生き延びてきたかがわかった。こんな技を持った奴が米軍のパイロットに堕とされるわけがない。まさに阿修羅のような戦闘機乗りだ。

読者に与えてくれる知識や、忘れてはならない歴史を再確認させてくれる。この悲劇は遠い昔の出来事ではなく、僕らが確かにその延長線上にいるのだということこを意識させてくれる。
戦後、民主主義の名の下に戦前の行為を否定し、今では日本をけなして外国を賞賛する人のほうがかっこいいという風潮まで出来上がっている。太平洋戦争の悲劇や、そこで生きた勇敢な人たちの生き様に触れて僕らは考えるだろう。「僕らの生き方はどうあるべきなのだろうか。」と。
物語の面白さだけでなく、読者に投げかけるテーマも含めてなんの文句もない。こういう本に出会うために読書をしているのだ、と思った。

瀬越憲作
大正、昭和時代の囲碁棋士。(Wikipedia「瀬越憲作」
ラバウル
パプアニューギニア領ニューブリテン島のガゼル半島東側、良港シンプソン湾を臨む都市。東ニューブリテン州の州都である。ラボールとも。(Wikipedia「ラバウル」
インパール作戦
1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され6月末まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。 補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、歴史的敗北を喫し、日本陸軍瓦解の発端となった。 無謀な作戦の代名詞として、しばしば引用される。(Wikipedia「インパール作戦」
桜花
大日本帝国海軍が太平洋戦争(大東亜戦争)中の昭和19年(1944年)に開発した特攻兵器。(Wikipedia「桜花」
参考サイト
Wikipedia「ガダルカナル島」
Wikipedia「F6F (航空機)」

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「私という運命について」白石一文

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
以前から名作とは聞いていたが、そのタイトルから「人生を考えさせよう」という意図が見えるような説教臭い物語をイメージを抱いていたことも確かだ。しかし、実際読み始めてみると、描かれているのは、やや勝気ではありながらも一生懸命生きている自分と同年代の女性、亜紀(あき)の生活である。
亜紀(あき)は仕事や恋に悩み、理想と現実との間のギャップに違和感を覚えながら生きている。20代後半という年齢ゆえに、周囲は結婚という道を選び、そして自分の目の前にもそういう運命の選択が訪れるにもかかわらず、違う何かを求めて踏み出せない。女性だけでなく、将来を悩むすべての人に共感できるのではないだろうか。
そして人生には多くの喜びや悲しみがある。亜紀(あき)の人生も例外ではない。親しい友人の恋愛や、弟の結婚、そして身近な人の死、時に、空気の読み方すら知らない不条理な運命が襲いかかってくる。そしてあまりに不条理だからこそ、「運命」と思わずにはいられない。「何か意味があるのではないか」と願わずにはいられない。
そして亜紀(あき)の周囲で起こる小さな偶然。それは30年、40年と生きていれば誰でも数回は目にするような偶然ではあるが、運命を信じる者にはその偶然は運命として受け止められる。
死んだらどうなるんだろう?
運命って信じる?
誰でも一度は考えたことがある問いかけに対して、本作品もいくつか答えを提供している。

運命を信じるって、決して、あきらめたり我慢したりすることばかりじゃないでしょう?

恋人を失ったがゆえの答え。
死を常に意識して生きてきたがゆえの答え。
その考え方はみんな少しずつ異なるけれど、それでもみんな見えない何かの力を信じている。

運命というのは、たとえ瞬時に察知したとしても受け入れるだけでは足りず、めぐり合ったそれを我が手に掴み取り、必死の思いで守り通してこそ初めて自らのものとなるのだ。

一体、何度この作品の中に「運命」という言葉が出てきただろう。読む前に心配したような説教臭さは微塵もなく、読んでいるうちにいろんな考え方が僕の中に優しくしみこんでくる。読む人によっては人生のバイブルにさえなりかねない作品である。


ベルガモット
ミカン科の常緑低木樹の柑橘類。イタリア原産。(Wikipedia「ベルガモット」

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「幽霊人命救助隊」高野和明

オススメ度 ★★★★★ 5/5
受験に失敗して首吊り自殺を図った主人公の高岡裕一(たかおかゆういち)は、現世と天国の間で、同じく自殺を図って天国に行きそびれた3人の男女に出会う。4人は神と名乗る老人から、天国に行くための条件として、100人の自殺志願者の命を救うことを命令される。
この現実離れした設定から、正直あまり期待していなかったのだが、その内容は期待を大きく裏切るすばらしいものだった。
物語は裕一(ゆういち)を含む4人の幽霊が、自殺志願者達の悩みを知り、自殺に向いたその心を救う。ということを繰り返すのだが、裕一(ゆういち)達は幽霊となって現世に降りたために、自殺志願者に直接触れることはできない、その代わりに、自殺志願者の考えていることを理解し、彼等の心に直接訴えることができる。
彼等の救助劇を目の当たりにする過程で、人が持つ悩みの数々に触れることが出来る。悲観的だからこそ、悩む必要のないことで悩む人。法律に無知だからこそ救われる手段があるのに追い詰められる人。完璧を求めるがゆえに他人を信じられない人。そして同時に、人を自殺に追い込む一つの原因として、責任感の強い者が損をする、日本の社会の不平等さを訴えている。

この国には一億二千万人もの人々が生活しているのに、どうして孤独というものがあるんだろう
多種多様に見える悩みの中の共通点。他人から見れば「どうしてそんなことで」と言いたくなるような苦悩が多いのである。不確定なはずの未来を、不必要に怖れていると言ってもいい。悲観的に見える将来は、同時に好転する可能性をも秘めていることに本人は気づいていないらしい。
人間は白でも黒でもない、灰色の多面体なのよ。人間だけじゃない。すべての物事には中間があるの。不安定で嫌かもしれないけど見つめなさい。いい人でもあり悪い人でもあるあなたの友達を。やさしくて意地悪な、あなた自身を

また、死ぬことを美とする日本の文化にも疑問を投げかけている。

人は皆、いのちを投げ出すという行為に崇高さを感じ取ってしまう。特に日本には、切腹した武士とか戦争中の特攻隊の話が語り継がれて、何かあれば死ねばいいという危うい風潮ができあがってしまっている。たとえ歴史に名を残さなくとも、何があっても生き延びる人間のほうが崇高なはずなのに。

そして、裕一たちは、そんな自殺志願者たちの救助作業を繰り返すうちに、「死」というものが決して美しくないこと、自分たちが大切な命を粗末にしたことに気付く。裕一(ゆういち)が、遺された自分の家族の心に触れるラストは涙無しでは読めないだろう。以前から、自殺という人間の心理に興味を持っていた僕にとっては非常に満足の行く作品であった。


傷痍軍人
戦傷を負った軍人のこと。
ウェルテル効果
一般的に知名度があるカリスマ的存在の人間が自殺すると、連鎖的に自殺が増えてしまう現象を指す。連鎖自殺、誘発効果、ドミノ連鎖とも言う。
任意整理
裁判所などの公的機関を利用せず、司法書士などの専門家が私的に債権者と話し合いをして、借金の減額や利息の一部カット、返済方法などを決め、和解を求めていく手続のこと。
オルグ
organizeまたはorganizerの略で、(特に左派系の)組織を作ったり拡大したりすること。組織への勧誘行為。および、それをする人のこと。
傅く(かしずく)
人に仕えて大事に世話をすること。
参考サイト
自殺(Wikipedia)

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「クライマーズ・ハイ」横山秀夫

オススメ度 ★★★★★ 5/5
1985年8月12日、日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落した。一瞬にして520人の命が散った。この物語は群馬県の地元紙である「北関東新聞」でその当時日航機墜落事故の全権デスクを務めた主人公の悠木和雅(ゆうきかずまさ)が、その17年後の群馬県の最北端にある衝立岩登攀(ついたていわとうはん)の際、当時の事故の報道に奮闘する自分の姿を思い起こす。そんな回想シーンを主に描いた作品である。
この物語自体は勿論フィクションであるが、1985年8月12日に起こった日航機墜落事故は事実である。当時僕は小学校3年生だった。事故の大きさも悲惨さも理解できなかったあの頃の僕の中にも、生存者が会見に応じるシーンを映したテレビ画面はうっすらと記憶として残っている。
そしてこの物語は、当時僕が知ることのできなかった事故の大きさや悲惨さを教えてくれた。

若い自衛官は仁王立ちしていた。
両手でしっかりと小さな女の子を抱きかかえていた。
自衛官は地獄に目を落とした。
そのどこかにあるはずの、女の子の左手を探してあげねばならなかった──。

また、著者自身が12年間の記者生活を送ってきたからこそ描けるのであろう。新聞社同士の報道合戦、社内の派閥争い、部署間の縄張り争い、記者のプライド、紙面展開など、新聞社の内部の様子が綿密に描かれ、非常にリアルに伝わってくる。
特に、主人公の悠木(ゆうき)の組織に属する人間として抗うことのできない人間関係に挟まれた無力感、報道に関わる人間としての使命感、地元紙の在り方について考える姿、事実と確信が持てない情報の紙面化に葛藤する姿には読み進めていくうちにどんどん惹き込まれていく。
そして物語終盤では「命の重さ」という人間として生きていくうえで避けられないテーマについて触れている。

どの命も等価だなどと口先で言いつつ、メディアが人を選別し、等級化し、命の重い軽いを決めつけ、その価値観を世の中に押しつけてきた。
偉い人の死。そうでない人の死。
可愛そうな死に方。そうでない死に方。

メディアの在り方だけでなく、人間の命に対する受け止め方についても改めて考えさせられた。勿論すべての命は等価でなくてはならない、しかし僕等にはそういう扱いができているだろうか。

私の父や従兄弟の死に泣いてくれなかった人のために、私は泣きません。たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても

残りのページ数が少なくなるのが惜しかった。この、心を深く刺激する時間にもっと没頭していたかった。本を読んでいてこんな感情を抱く機会はそれほど多くあることではないだろう。


玉串(たまぐし)
神道の神事において参拝者や神職が神前に捧げる、紙垂(しで)や木綿(ゆう)をつけた榊の枝である。杉の枝などを用いることもある。
参考サイト
日航機墜落事故で亡くなった人の遺書とメモ書き
墜落現場・御巣鷹の尾根、85年8月13日
生存者の一人・落合由美さんの証言
生存者救出映像(YouTube)

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