「猫鳴り」沼田まほかる

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
モンと名づけられた猫の3つの物語。
中年夫婦の元に現れた子猫モン。第一部では子猫のモンを夫婦が飼うことを決断するまでの過程、第二部はその10年ほど後、近所に住む男の視点からモンを見つめ、最後は命の終わりを迎えようとするモンとすでに妻に先立たれた飼い主、藤治(とうじ)を描く。
正直、三部に別れているそれぞれの章にどんな意味があるのか、表面的に文章を読むだけで理解できるもの以上のなにかが込められている気もしたが結局よくわからず、本作品をしっかり理解できたなどとは到底思えないが、それでも最後、死を迎えようとするモンを世話しながらも、すでに自分も妻に先立たれてそう遠くない日に死を迎えるであろうと自らの人生と比較するような描写は、心に染み入るものがあった。
【楽天ブックス】「猫鳴り」

「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」マイケル・ルイス

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
オークランド・アスレチックスの総年俸は全チームのなかで下から数えたほうが早い。にもかかわらずレギュラーシーズンの勝利数はトップレベルである。そんなメジャーリーグのなかで「異質な例外」であるアスレチックスの成功を描く。
正直、冒頭から一気に本書に惹き込まれてしまった。打率、勝利数、被安打率、超打率、防御率、出塁率、決定率、打点、得点、セーブ…。数あるスポーツのなかでも圧倒的に数字の評価が多い野球。しかし、本当にそれぞれの数字は、僕らが語るほどに意味のあるものなのか。
きっと誰もがそれに似たような疑問を一度ならずと考えたことがあるに違いない。たとえば僕が昔思ったことがあるのが、「本当にチャンスに強い人を4番打者にすることがもっとも効率がいいのか?」という疑問である。1番から3番までがしっかり出塁すれば確かに塁がもっとも埋まった状態で打席にまわるがそんなことは早々起きるものではない…。などである。本書にその答えは残念ながらないが、世間を惑わしている数字のマジックにしっかりと切り込んでくれる。

足の速さ、守備のうまさ、身体能力の高さは、とかく過大評価されがちだ。しかし、だいじな要素のなかには、注目すべきものとそうでないものがある。ストライクゾーンをコントロールできる能力こそが、じつは、将来成功する可能性ともっともつながりが深い。そして、一番わかりやすい指標が四球の数なのだ。
スリーアウトになるまでは何が起こるかわからない。したがって、アウト数を増やす可能性が高い攻撃はどれも、賢明ではない。逆にその可能性が低い攻撃ほど良い。出塁率とは、簡単にいえば、打者がアウトにならない確率である。出塁率とは、その打者がイニング終了を引き寄せない可能性を表している。

特に気に入ったのは、得点期待値によって、個人の試合への貢献度を数値化する部分だろう。それは、たとえばタイムリーエラーをして敵に点を献上した選手は、ヒットを何本打てばその失敗を取り返せるのか、という問題を数値的に表すのである。
さて、本書はそんなアスレチックスのとっている数値的な解析をベースにした選手選びや戦術などのほか、そんな特異なアスレチックスの選手選別によって発掘された選手たちの生き方にも触れている。
スポーツ好きまたは理系人間には間違いなく楽しめる一冊である。サッカーでも近いことができないものだろうか。ついついそう考えてしまう。

最高の野手と最低の野手の差は、最高の打者と最低の打者の差にくらべ試合結果におよぼす影響がずっと小さいんです。

【楽天ブックス】「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」

「世界一周!大陸横断鉄道の旅」桜井寛

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
中国、オーストラリア、ロシア、カナダ、アメリカの大陸横断鉄道での旅の記録である。それぞれの鉄道で起こった出来事、知り合った人々、驚きなどを描いている。
中国の長江横断、オーストラリアのナラーバー平原、ロシアのバイカル湖など、間違いなく日本の鉄道旅行とはスケールが違うであろうその景色をもちろん文字でしか感じることはできないが、それでもわくわくしてきてしまう。
鉄道好きな人には間違いなくお勧めの一冊。本書を読めば、きっと誰もが大陸横断鉄道の旅にでかけたくなるだろう。
【楽天ブックス】「界一周!大陸横断鉄道の旅」

「船に乗れ」藤谷治

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
学生時代チェロに打ち込んだ津島サトルが大人になってから、その音楽漬けだった過去を振り返って語る。
チェロを始めたきっかけや受験の失敗から入り、物語は高校時代の3年間が中心となる。音楽を中心に生きているひとの生き方は日々の生活から、学校の授業、友人との会話まで僕にとってはどれも非常に新鮮である。
序盤では高校1年のときに出会ったバイオリンを学ぶ生徒南(みなみ)との恋愛物語が中心となっている。初々しい2人のやりとりは、なんか高校時代の甘い記憶を思い起こさせてくれるようだ。アンサンブルのためにひたすら一緒に練習する中で、音楽に対して真剣に取り組んできたからこそ通じる言葉や音楽に対する共感によって次第に深まっていく二人の仲は、なんともうらやましい。
物語の進む中で多くの曲名や作曲家名また音楽独自の表現が登場する。そういうとなんか難しく身構えてしまう人もいるのかもしれないが、本作品はそんな、僕らが理解できない音楽の感覚を、理解できる形にして見せてくれる点がありがたい。非常に読みやすく、数年前にはやったドラマ「のだめカンタービレ」的な感覚で楽しめるのではないだろうか。
そして、サトルを含む学生たちは、文化祭など年に何回かの発表を行うために練習を繰り返す様子のなかから、本書を読むまでわからなかった音楽に打ち込む人々の苦労が見えてくる。
たとえば僕らが「オーケストラ」と聞いて思い浮かぶこと。多くの楽器の音を合わせて作り出す音楽。それを作り出すためにどれほど楽器奏者たちが苦労しているか、そこにたどり着くためにどれほど練習を重ねているか、というのも本作品を読むまで想像すらしてこなかったことである。

音楽を個性的に弾くのは簡単だ。どんなこともごまかせる。一番難しいのはね、楽譜どおりに弾くことだよ。

そしてまた、そのオーケストラを通じてひとつの曲の完成度をあげていくなかで彼らが味わう喜びや悔しさ、そしてそれによって作られていく仲間意識、それは、僕が触れてきたサッカーや野球などの部活動で作られるものとは少し異なるもののように見える。音楽に対する理解度がある程度のレベルに達しているからこそ伝わる言葉や感覚。そういうものによって作られる絆のようなものになんだか魅了されてしまうのだ。
そんな音楽関連の内容とはべつに、サトルのお気に入りの先生である金窪(かねくぼ)先生の授業も印象的である。ソクラテスやニーチェ。僕自身が、何で有名なのか知らないことに気づかされてしまったが、本書で触れられているその内容は好奇心をかきたてるには十分すぎるものだった。
ひとつのことにひたすら真剣に取り組むこと。それは人生においては逃げ道のない非常にリスキーな生き方ではあるが、本書を読むと、「こんな生き方もしてみたかった」と思ってしまう。
こうやって書いてみるとなんだか音楽の話ばかりのように聞こえてしまうかもしれないが、全体としては音楽に情熱を注いだ十代の生徒たちの青春物語である。南との恋愛だけでなく、天才不ルーティストの伊藤慧(いとうけい)との友情もまた印象的である。この甘い空気をぜひほかの人にも味わってほしい。
文字量は決して少なくないが、難しい単語や余計な表現が少なく、非常に読みやすい。特に最終巻は3時間の一気読みだった。

誰もいないところで弾く独奏にも、聴衆はいる。なぜなら、君をみているもう一人の君が、かならずいるからだ。
サモトラケのニケ
ギリシャ共和国のサモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発掘され、現在はルーヴル美術館に所蔵されている勝利の女神ニケの彫像である。(Wikipedia「サモトラケのニケ」
トマス・ホッブス
イングランドの哲学者であり、近代政治思想を基礎づけた思想家。(Wikipedia「トマス・ホッブズ」
ハンナ・アーレント
ドイツ出身のアメリカ合衆国の政治哲学者、政治思想家。(Wikipedia「ハンナ・アーレント」

【楽天ブックス】「船に乗れ(I)」「船に乗れ(II)」「船に乗れ(III)」

「The Vanished Man」Jeffery Deaver

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
マンハッタンの学校で起こった殺人事件で犯人が密室から消えた、ステージマジック技術に長ける犯人はRhymeとSechsの追跡を予想外の方法でかわしていく。
法医学のスペシャリストLinkcoln RhymeとAmelia Sechsの物語の第3弾である。毎回、犯人は突出した能力を持ち、Rhymeたちと互角に渡り合う。今回の犯人はステージマジックに長けている。鏡などを用いて暗闇と同化し、どんな年齢、どんな性別の人間にも扮することができるうえ、どんな鍵でも数秒で開けることができる。読者を惹きこむ圧倒的な物語展開は本作品でも健在である。
RhymeとSechsに加えて、BellやSellittoなど御馴染みの警察関係者はいつものように活躍するが、今回はマジックのアドバイザーとして女性マジシャンKaraが捜査に加わる。犯人の逮捕のために、KaraがRhymeたちにマジックの技術について語る内容はいずれも興味深いものばかり。中でも本作品で鍵となるは「Misdirection」。つまり、どうやって観客の注意を、自分の見てほしくない部分に向けるか、という技術である。実際、本作品中の犯人はいくつものmisdirectionを行いながら目的を遂行しようとする。
そのほかにも印象的なシーンがいくつかあった。犯人と対面したRhymeをSechsが聴取するシーンなどもそんな中のひとつである。証拠至上主義のRhymeに対して、Sechsは人との対話のなかに手がかりを見出す。普段捜査の指示を出す側のRhymeがこのときだけはSechsに主導権を握られた点が面白い。

「犯人は…確かこう言った…犠牲者に対して個人的な感情はない…と」
「w私が聞きたいのは犯人の言葉よ。自分の言葉に置き換えないで。絶対犯人はそんなこと言うはずがない。犯人は自分が殺した人を『犠牲者』と呼んだりしない。犯人はいつだって、なんらかの理由で犠牲者は死ぬべきだと思っているはずよ」

そして、なんといっても際立ったのはやはりKaraの存在だろう。入院中の母の世話をしながら、手品を勉強し、いつか大きな舞台に立つことを夢見る女性マジシャン。物語中で小さな舞台で演じるその姿は文字から伝わってくるイメージだけで魅了されてしまう。マジックという何か「古臭いもの」というイメージがついているものにたいして考え直すきっかけになった気がする。

「プラ・バロック」結城充考

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第12回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作品。
冷凍コンテナのなかで集団自殺した14人の男女。女性刑事クロハは事件の深部へと迫っていく。
女性刑事を主人公にした小説は決して少なくない。そして、そのどれもが小説という容姿を見せない媒体ゆえに、読者の頭のなかで魅力的な女性へと変わるから、強く賢く美しい女性が生まれるのだ。そんな競争率の激しい枠に本作品も挑んでいるのだが、本作品の女性刑事クロハも決してほかの作品のヒロインに負けてはいない。
クロハは捜査の第一線で働きたいがゆえに、自動車警邏隊から機動捜査隊の一員となる。事件の捜査に明け暮れるクロハの息抜きは、仮想現実の世界である。その世界は、SecondLifeと印象が重なるように思う。一般的にはいまだ抵抗があるであろう仮想現実の世界を、犯人側だけでなく、刑事である主人公の側も日常の一部として描いている点に、本作品の斬新さを感じる。
また、クロハがたまに会う精神科医の姉の存在も面白い。姉が犯人像について語る言葉はどれも印象的である。

集団に参加するのは、死ぬことの責任感を自分に植えつけて、逃げられないようにするため。

そして、次第にクロハは犯人に近づいていく。読みやすく読者を引き込むスピード感。そんな中でも見えない犯人に対する不気味さが広がってくる。非常に完成度の高い作品である。
気になるのは本作品に続編があるのか、というところ。クロハの存在が本作品だけで終わってしまうのであれば非常にもったいない気がする。
【楽天ブックス】「プラ・バロック」

「夢の中まで左足」名波浩

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
好きなサッカー選手はいつでも僕の頭のなかにはいて、名波は大学時代から社会人になりたてのころ、常に僕のなかのそのポジションにいた。
本書では、名波が、過去の試合や経験を、過去のチームメイトなどと振り返って語る。左足にこだわりにこだわって、日本代表やジュビロの一時代を築いた彼の、サッカー観に触れることができるだろう。
本書はいくつかの章に分けることができる。前半の藤田俊哉との章では、名波と藤田という、高校からジュビロ、と、20年も一緒にプレーをしてきたからこそ語られる思い出や意見が描かれている。

オレが走れば、パスが出るに決まっている。名波は見ているに決まっている。どうしてパスが出るかなんて、考えたこともない

こんなのを読んでしまうと、そんな2人の関係に嫉妬してしまう。そしてまた、会話の節々から名波のパスに対するこだわりの深さを知るだろう。

受け手が「完璧だ」言っているというのに、しかしコンビは不満顔である。
─完璧なパスではなかったかと。
いや、違う。最後に詰めてきたDFが、少しだけボールにかすっている。DFに触れられない、でも、FWが早くダイレクトを打てる地点は、もう少し手前だったことになる。ボール半転がし手前ならば、触れられることなく入ったと思う。

そして後半では、山口素弘(やまぐちもとひろ)と共に、フランスワールドカップの日本代表を語る。

よく、若い選手が、アイツとは息が合うんですよ、と言っているのを聞くけれど、聞きながらいつもこう思うんだ。それでもあのときのオレたちほどじゃないだろう、って。少なくてもオレはそう思っていた。

その後の、Mr.Childrenの桜井和寿を交えて、サッカーと音楽のその創造性の部分に共通点を見出して語るシーンも悪くない。
あ?、やっぱりサッカーがしたいな。フットサルも楽しいけどサッカーがしたい。見なくても「お前はここにいるんんだろう・・・ほら」って、パスを出したい。
きっと読んだらみんな同じ様なことを思うだろう。

【楽天ブックス】「夢の中まで左足」

「中澤佑二 不屈」

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
ドイツワールドカップ、南アフリカワールドカップなど、日本代表だけでなく、横浜マリノスでの出来事など、そのサッカー人生を通じて、日本打表DF中澤佑二の知られざる一面を描く。
僕が彼について知っているのは、テスト生からヴェルディのレギュラーをつかんだということと、ドイツワールドカップ後に代表引退を決意したにもかかわらずバスケット界のパイオニアである田伏勇太と出会って代表復帰をきめたことぐらいだろう。本書はその認識を補いながらも、そのストイックで孤独な生き様を存分に見せてくれる。
本書は3つの章に別れていて、2,3章はそれぞれドイツ、南アフリカワールドカップを中心に描かれている。個人的には1章の「プロへの挑戦」が印象的である。特に高校時代のひとり「プロになる」というモチベーションのもとでサッカーに接するうちに、周囲から孤立していき、それでも目的のために信念を曲げない姿にはなんか共感できるものがある。
文中で中澤が影響を受けたとして引用されている言葉にはどれも重みを感じる。

多くの人が、僕にも「お前には無理だよ」と言った。彼らは、君に成功してほしくないんだ。なぜなら、彼らは成功できなかったから。途中で諦めてしまったから。だから、君にもその夢を諦めて欲しいんだよ。不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだよ。
人生に成功は約束されていない。でも成長は約束されている。

本書でもドイツワールドカップを大きな衝撃と語っている。中田英寿の「鼓動」でもそうだし、数多くの日本のワールドカップを描いた書籍でも同様に選手同士の内部崩壊が招いた悲劇と語られているドイツワールドカップは、本書でも中澤だけでなく、宮本恒靖の目線からも語られており、興味深いものとなっている。
そして最後は記憶に新しい南アフリカワールドカップ。その内容からは決してそれが外から観ているほど輝かしいものではなかったことが伝わってくるだろう。チーム崩壊寸前の状態にありながら、4年前のドイツワールドカップの経験者たちがその失敗を糧に、崖っぷちの状態からチームを結束させた結果だとわかる。

言いたいことを言うのと、チームのためを思って言うのではまったく意味合いが異なる。個性は一定の規律のある組織の中にあって初めて力を発揮するものであって、ルールを無視すれば、単なる我が儘と取られても仕方がない。

それでも最終的にカメルーン戦のゴールで波に乗って、デンマーク戦ですばらしい試合をしたあのチームのなかにいて、あのチームとしての一体感を味わえた中澤がうらやましくてたまらない。

チームの一体感というものを初めて、強烈に感じた。一人のゴールをチームのみんなが祝福している。心の底から突き上げていくような喜びをだれもが共有している。四年前のドイツでは決して訪れなかった瞬間だった。このチームはいける。この勢いでいける。そう確信した。
仲間たちとの共鳴。すべてはこのためにやってきたのだと、心の底から思った。

中澤のサッカー選手としての成功を語るときに、「彼は努力だけで上り詰めた」という人が多いのかもしれないが、本書を読めばそうは思えない。人生の要所要所で彼は運命的な出会いによって救われている。見習うべきはそんな偶然が近づいてきたときに、それを掴み取る努力をいつの日も怠らなかったことだろう。
「日本代表」とか「ワールドカップ」とかそんな壮大なジャパニーズドリームだけでなく、何かを達成する上ではそれがどんな目標であれそんな意識は大事なんだと思えた。
余談だが、本書で中澤は自身のベストげーむとして、ドイツワールドカップ前のドイツ戦をあげている。中田英寿も「鼓動」のなかで、ドイツ戦での柳沢とのプレーが最高のプレーと語っている点が印象に残った。どうやらあの試合はサッカーファンにとっては見逃してはいけない試合だったらしい。
【楽天ブックス】「中澤佑二 不屈」

「The Last Child」John Hart

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
2010年バリー賞長編賞受賞作品。2010年エドガー賞受賞作品。
双子の妹が誘拐されて行方不明になってから、13歳のJohnnyの世界は変わってしまった。父親は失踪し、母親は失意の日々を送っていた。それでもJohnnyは強くいき続けた。
「Down River」に続いて、John Hartは本作品で2冊目となる。彼の作品はどうやら家族のありかたを常に意識しているように見え、本作品にもそんな要素が詰まっているように感じた。母と子、父と子、Johnnyとその母Katherineだけでなく、彼らに対して親身になって接する刑事Huntとその子Allenや、Johnnyの親友であるJackとその父Cross。
いずれも家族として崩壊しているわけではないが、どこか歯車のかみ合わない関係を続けている。ところどころでお互いに対する不満がにじみ出てきて、その予想外の不満に戸惑い、それでも修復して「家族」であり続けようとする意思が根底に見えるあたりに、何か著者のうったえたいものがあるような気がする。
一気に物語に引き込むような力強さはないが、じわじわと読者の心を覆い尽くしていくような独特な世界観がある。そんな世界観に多くの人が涙するのではないだろうか。

「氷菓」米澤穂信

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
折木奉太郎(おれきほうたろう)は成り行きで入部した高校の古典部で、千反田える(ちたんだえる)という女性と出会う。そして、古典部の日常のなかで起きる不思議な出来事に対して不思議な才能をみせることとなる。
ほのぼのとした学園物語で肩の力を抜いて読むことができる。なぜか閉まってしまったドアや、なくなってしまった文集など、他愛もない謎を、奉太郎(ほうたろう)が友人たちと協力して解いていくうちに物語は、30年前の学園祭での出来事に向かっていく。
冒頭の軽いノリとその魅力的な登場人物によって物語に引きずり込まれて読み進めているうちに、思った以上に深い内容にまで踏み込んでいた。
軽く読めるけど決して浅くはない。そんな絶妙なバランスが評価できる。ちょっと時間があるときに読書を楽しみたい。そんな人にはおすすめできる作品である。

プリシュティナ
コソボ共和国の首都。1990年代のコソボ紛争で深刻な打撃を受け、現在も復興の途にある。(Wikipedia「プリシュティナ」

【楽天ブックス】「氷菓」

「The Stone Monkey」Jeffery Deaver

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
Lincoln RhymeとAmelia Sachsは中国からアメリカへの密入国を大規模に行う男、通称「Ghost」追跡の任務に就くこととなる。一方、Ghostはアメリカに到着直前に、多くの中国人を乗せたままの船を爆発させ沈没させ、自らは逃亡する。
RhymeとAmeliaの「Bone Collector」に続く物語の第4作目に当たる。現場に残されたわずかな証拠から、犯人に迫るシリーズではすでにおなじみとなっている捜査手法はもちろん大きな魅力の一つだが、本作品ではさらにいくつかの要素が加わって魅力的な作品になっている。
まずは、自ら密入国船に密入国を目論む男として潜入し、最終的にGhostに法の裁きを受けさせようとする中国人刑事、Sonny Liの存在だろう。互いに協力してGhostを捕まえようとする過程で、RhymeとLiは少しずつその実力を認めるようになり、やがて、RhymeはそのLiの人と常にまっすぐ向き合おうとする姿勢から、ほかの人にはいだかなかった親密さを感じるようになる。その2人の会話のなかからは、中国とアメリカという2つの国の文化や裕福さの違いが伝わってくるだろう。
そしてもうひとつの面白さは、中国で反体制派としての活動に従事し、アメリカへ亡命をしようとするなかで密入国船に乗り込んだSam Changとその家族の存在である。なんの基盤もない新しい国で、自らが持っている技術だけを元手に家族を養っていこうとするChang。彼が見せる葛藤や、自らの家族の命を脅かそうとするGhostに対する計画など、どれも非常にスリリングである。
そしてラストは悲しくもあり、うれしくもあり、そして予想をさらに超えてくれるだろう。まだ本シリーズは3作目だが、個人的にもっとも好きな作品である。一読の価値ありの一冊。

Chiang Kai-shek(蒋介石)
中華民国の政治家、軍人。国民政府主席、初代総統で5回当選し、あわせて1943年から死去するまで中華民国元首の地位にあった。(Wikipedia「蒋介石」
Mao Zedong(毛沢東)
中華人民共和国の政治家、軍人、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之、筆名は子任。中国共産党の創立党員の1人。中国革命の指導者で、中華人民共和国の建国の父とされている。(Wikipedia「毛沢東」
ESU(Emerdency Service Unit)
地方、国、州の法執行機関にある多面的で多方面の能力を持ち合わせた特殊部隊。主にニューヨークに拠点を置く。(Wikipedia「Emergency Service Unit」
Joey Gallo(ジョーイ・ギャロ)
ニューヨークの5大ファミリーの一つプロファチ一家のメンバーで殺し屋。別名、クレージー・ジョー(Crazy Joe)。三兄弟の次男。ボブ・ディラン(Bob Dylan) が1976年に発表したアルバム『欲望』(Desire)に収録された「Joey」(ライナー表記は「ジョーイー」)のモデルとして著名。(Wikipedia「ジョーイ・ギャロ」

「悼む人」天童荒太

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第140回直木賞受賞作品。
その場所で亡くなった人が、誰に愛され、誰を愛していたかを尋ねて、記憶にとどおめておくために旅をしている男、「悼む人」を描いた物語。
「悼む」という行為を行いながら日本を旅する坂築静人(さかつきしずと)の行動はなんとも奇異に映る。無意味なのか自己満足なのか、偽善なのか、とにかく近づいてはいけないもののように感じる。そして、「その行動にどんな意味があるのか・・・」そんな読者が当然のように抱く疑問を、静人(しずと)が旅先で出会う人は問いかける。
そして、また静人(しずと)の母、巡子(じゅんこ)は娘の妊娠を機に、静人(しずと)の生き方の理由を家族に知ってもらおうとする。巡子(じゅんこ)の語りによって、過去の静人(しずと)の経験してきた、親しい人の死など、「悼む」という行為に駆り立てたできごとが明らかになっていく。きっと、読者もその行為自体に、なにか意味を感じることができるようになるのではないだろうか。
よく言われることだが、たとえどんなに印象的な凶悪な事件さえも、一週間ほどワイドショーや新聞の紙面をにぎわせればすぐに人々の記憶から薄れていく。凶悪犯だろうが、殺人犯だろうが、区別なく記憶にとどめようとしていきていく静人(しずと)「悼む人」の行動とその動機を描くことで、逆に、人の死がどれほど簡単に忘れ去られていくかを際立たせて訴えかけているようだ。「人の存在」というものについて考えさせられる何かが本作品に感じられる。

或る人の行動をあれこれ評価するより……その人との出会いで、わたしは何を得たか、何が残ったのか、ということが大切だろうと思うんです。

【楽天ブックス】「悼む人」

「インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日」中村安希

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
著者中村安希(なかむらあき)が2年かけて行った、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の一人旅を描く。
女性の旅行記は今回が初挑戦である。旅行記というとどうしても、「自分は勇敢な挑戦者」的な自己陶酔や、「無謀」を「勇気」と勘違いしたような内容のものが少なくないのだが、(単純に僕が読んできたものがそうだっただけかもしれないが)、本書は、読み始めてすぐにその客観的表現と豊富で的確な表現力、そして綺麗な文体に好感を抱いた。旅に描写からは、著者の鋭い観察力と知性を感じる。
多くを旅行記を同様、訪れる国々で受けた異文化による衝撃や、出会った予想外の親切などのほか、その国の問題やそれを生じさせている原因やそこで起こっている矛盾、そういったものを文章を通じてしっかり読者に伝えてくるその視点と表現力に感心しっぱなしだった。
著者の心に響いたであろう言葉の一つ一つが、読者である僕の心も揺さぶった。例えば、インドのマザーズハウスで出会ったボランティアの嘆き。

僕は風邪で一日だけボランティアの活動を休んだけど、僕がいなければ他の誰かが、代わりに仕事をするだけだ。僕がいてもいなくてもあまり関係ない気がしている・・・
私は、毎日疲れて眠りたいのよ。『今日も自分は頑張った』って、そういう疲れを体に感じて夜はベッドに入りたい。ただそれだけよ。

旅の途中で出会った人たちとも、単純に表面的にいい関係を築いて「出会ってよかった」と旅を美化するのではなく、ときには「だからアフリカはいつまで経っても貧困から抜け出せないのだ」と批判たりと、奮闘する様子からは、今まで見えなかったいろんなものが見えてくる。

地域にしっかり足を下ろして何かにじっくり取り組むことなど、そもそも求められてはいない。なぜなら一番大切なのは、派遣された隊員数と、援助する予算の額を国連で競うことだから。

正直、読み終えて、何がこんなに僕のなかでヒットしたのだろう、と考えてしまった。僕自身と物事を見る視点が似ているというだけではないだろう。
旅行記を手にとる人というのは、今回の僕のように、きっとその人自身がそういう体験をしたいからなのだろう。そして、にもかかわらず時間と費用など、そのために犠牲にしなければいけないものと、その先で得られるものの不確実性を考えて踏み切れないでいるのだろう。踏み切れないながらも、その体験を間接的にでも味わいたいのだ。
そしてきっと、そんな人たちの何人かは、すでにその旅の果ての失望みたいなものを予期しているのかもしれない。海外でボランティアに従事してみたい、とかそこに住んでいる人と同じような生活をして文化を感じてみたい、という先にある「旅行で訪れただけでは結局表面的にしかわからない」というどうにもならないことに対する失望である。
本書のほかの旅行記をと異なっている点はきっとそこなのだ。よくある旅行記のように「辛いこともあったけど行ってよかった」というように著者が費やした時間を「間違いなくそれだけの価値のあったもの」と誇らしげに自慢するのではなく、むしろ「辛いこともいいこともあったけど、結局この旅は求めていたものに答えてくれたのだろうか?」なのである。「一読の価値あり」と思わせるには充分の内容だった。

彼らの声や行いが新聞の記事になることはない。テレビの画面に流れることも、世界中の誰かに向けて発信されることもない。すべては記憶に収められ、記録としては残らない。私は彼らに電話をかけて「ありがとう」とさえ伝えられない。

【楽天ブックス】「インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日」

「サッカー日本代表システム進化論」西部謙司

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
日本代表の進化の過程をその戦術に焦点をあて、当時の中心選手やコーチなどの意見を交えながら描く。
期間でいうと1984年から南アフリカワールドカップ直前の2010年という30年弱である。僕にとっての日本代表はオフトジャパンから始まっているので、それ以前の日本代表は想像するしかないが、それでも本書で描かれている内容から、当時の日本代表のレベルや選手層の薄さが見て取れる。
内容がオフトジャパン以降に及ぶと、どの試合も選手も記憶にあるものばかりで、懐かしさとともに涙腺が緩んでしまう。ブラウン管を通して観た試合の様子やその結果だけでは伝わってこないような内容にも触れているので、すでに忘れ去られようとしている重要な一戦を(いまさらだが)さらに理解するのに役立つだろう。
そしていままで、ただ「日本代表」と単一の存在として観ていたもの(もちろんサッカーファンの多くはその戦術の違いはおおよそ理解しているだろうが)が、それぞれの監督の持つ個性や意図を本書を通じて理解することでより個性を持っていた。見えてくるとともに、サッカーを見る目も養われることだろう。

オフトは”言葉”を持っていた。コンパクト、スモールフィールド、トライアングル、アイコンタクト・・・・・いわれてみれば当たり前のことばかりで、選手たちも知らなかったわけではない。でも知ってはいても明確な言葉はなかった。
ファルカンのサッカーは、いま思えば、とてもいいサッカーだった。ただ、当時の選手のレベルには全く合っていなかった(柱谷)
ゾーンプレスはパスをつないでくる相手、プレッシングをかけてくる相手に対しては効果があった。だが、ひたすらロングボールを蹴ってくるような相手、カウンター狙いに徹した相手に対して、威力を発揮しきれなかった。
フラットスリーはやられそうで、意外とやられない。ただ、一瞬でも気を抜いたらダメ
どこかで、誰かがまとめなければならない。迷ったときに誰を見るのか、何を拠り所にするのか、そこがジーコ監督のチームでは徹底されていなかったのではないだろうか。
ピッチ上では、さまざまな問題が起こる。予め解答を用意するのではなく、解決能力をのものを上げていくのがオシム監督のやり方だった。

「ゾーンプレス」や「フラットスリー」という言葉を聞いただけでサッカーファンには過去の日本代表の試合が頭のなかに蘇るのかもしれない。日本代表の戦術の軌跡を通じて、ここ20年の間にどれほど日本のサッカーが人も戦術も進化したのかわかるだろう。そして、日本に限らずサッカーが戦術はいまなお進化しつづけているのだ。
サッカーファンには間違いなくオススメの一冊。この一冊で間違いなくさらに一枚も二枚も上手なサッカーにうるさい人になれるだろう。
【楽天ブックス】「サッカー日本代表システム進化論」

「オレたち花のバブル組」池井戸潤

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
東京銀行の半沢直樹(はんざわなおき)は、多額の損失を出した融資先ホテルの担当を引き継ぐこととなる。
本書は同じく半沢(はんざわ)を主人公とする物語「オレたちバブル入行組」の続編である。バブルの好景気に沸く1988年に入行した半沢(はんざわ)とその同期の銀行員たちを描いている。本作品でも前作同様、利益をあげるために、優良な融資先を見つけ、その業績を審査する、という一連の銀行業務の中で、ここの銀行員たちの出世争いや派閥間の駆け引きが中心となっている。
すでに本書で、著者池井戸潤(いけいどじゅん)の銀行を舞台とする物語も5冊目となっているため、銀行業務の流れがわかってきた気がする。そして、同時にその物語のなかで見えてくる銀行員同士の意地の張り合い、足の引っ張り合い、効率の悪く古臭い業務の流れなどを見ると、本当に銀行員になどならなくてよかったと思うのである。しかし、こんな醜い銀行内部の様子を描きながらも、こうも物語を面白く魅力的に仕上げているのは、やはり、半沢(はんざわ)という、正義感あふれ、立場のちがいにも恐れることなく信念を貫き通す人間の存在なのだろう。
本作はバブル入社組のキレ者、半沢(はんざわ)だけでなく、一度は神経的な病によって出世レースから脱落した、半沢(はんざわ)の同期である近藤(こんどう)の物語も並行してすすむ。取引先の会社に出向というかたちで部長におさまり、居心地の悪さを感じながらも、次第に銀行員としてのプライドを取り戻していく姿はなんとも頼もしい。
そして、近藤(こんどう)にも焦点をあてることで、信念を貫き通せない人間の存在を許しているようだ。実際、物語中で弱さを見せる近藤(こんどう)に対して半沢(はんざわ)が語る言葉が印象に残った。

人間ってのは生きていかなきゃならない。だが、そのためには金も夢も必要だ。それを手に入れようとするのは当然のことだと思う。

現実の世界でもこういう人間が銀行を支えていると信じたいものだ。
【楽天ブックス】「オレたち花のバブル組」

「The Judas Child」Carol O’Connel

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
小さな町で2人の少女が行方不明になった。幼い頃双子の妹を殺害されるという経験を持つRouge Kedallは、2人の少女の失踪という類似性によって再び過去の事件と向き合うことになる。
物語は2つの側面から展開する。誘拐を解決するために動いているFBIなどの捜査側の視点と、監禁されている建物の中で、必死で生き抜こうとする2人の10歳の症状、GwenとSadieの視点である。
少女達の視点で展開される側では、それぞれの少女の個性が際立っている点が物語を興味深いものにしている。Gwenは副知事の娘で大人しく控えめである一方で、Sadieはいたずら好きで行動力があり、常にGwenをリードしていくのである、まだ10歳という年齢でありながらも固い友情で結ばれているゆえの2人の言動が見所だろう。
そんな一方で、Rouge KendallはFBIの人間と協力しながら、幼い頃に殺された妹、Susan Kendallの事件の真相を解明しようとする。一卵性双生児で常に一緒に行動し、ほかに友達を持たなかったことによって、幼い頃にRougeとSusanが見せた非科学的な行動には好奇心をかきたててくれるだろう。

たくさんの双子のを見てきたが、彼らのようなのは初めてだった。私がRougeの手術の準備をしているときに麻酔をかけた。看護師はSusanにガウンをかけて、マスクをつけさせた。だから彼女には針が見えなかったはずなのに、麻酔は彼女にも効いたんだ。まるで、2つの体を持つ1人の子供を扱っているようだった。

物語の舞台となっているのが非常に小さな田舎町なのだろう。それぞれの立場や職業が相互に依存しあっており、その結果として登場する多くの人物名のせいで、途中、やや話についていけない感も抱いたが、最後の数ページでそんな鬱憤のすべてを吹き飛ばされてしまった。正直、もう犯人なんてどうでもよくて、公共の場所で呼んでいたために涙をこらえるのに必死になってしまった。
挑戦するひとにはぜひ、途中の中だるみで諦めずに最後まで読み切って欲しい。記憶に残る本は、読後に喜びや悲しみよりもなにか喪失感のようなものを与えてくれる気がするが本作品もそんななかの一つと言っていいだろう。

「日本人が誤解する英語」マーク・ピーターセン

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
日本人が間違えやすいポイントに絞って英語を解説している。
日本の英語教育の家庭ではその意味的な違いにまで踏み込んで勉強することのなかった部分を、わかりやすい例文を用いて解説している。
たとえば「will」と「be going to」の意味的な違いなどは、何度かきいたことがあるのかもしれないが、あまり意識して使っていなかったことに気づいた。著者が例文をもって、そのニュアンスの違いを示すのを見て初めて、その違いをしっかりと意識して使い分けなければならないということを知った。
たとえば、上司と部下の会話を想定して、

We have to inform the Chicago office be the day after tomorrow.
「明日の朝までにシカゴオフィスに連絡しなければならない」」

という問いに対して「will」と「be going to」の意味的な違いを考えると、

I’m going to do that tomorrow morning.「明日の朝やるつもりでした(言われなくてもわかっているよ)」
I will do that tomorrow morning.「わかりました、明日の朝やります」

となるのである。こうしてその英文が使用される状況を想像して考えると、その違いが日常会話においては無視できないものであることがわかるだろう。同様に、過去形と過去完了のニュアンスの違いなども解説している。
また、個人的に印象的だったのは「make」「have」「get」「let」という4つの使役動詞の使い分けである。日本語にするといずれも「?させる」という意味になるため混乱しやすいのだが、いずれも微妙にニュアンスが違うということがよくわかるだろう。
後半では英文において日本人が「therefore」「so」「because」を多用する傾向があることについて書いていて、その使い方を解説している。実際僕もどうしても日記を英語で書くと「because」を使いたくなってしまうので、この部分の考え方はしっかりと身につけたいものだ。
同様に「したがって」と日本語で訳される、「Consequently」「Accordingly」「Therefore」もしっかりと使い分けをしなければいけないことがわかるだろう。
そして、終盤は制限用法と非制限用法の意味の違いである。話し言葉ではあまり意識する必要がないが、英語でしっかりとした文章を書く技術を身につけるためにはおさえておきたいポイントである。
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「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
もはや説明もないぐらい今話題の本だが、改めて説明するなら、ドラッカーの「マネジメント」を読んだ弱小高校野球部のマネージャーみなみが、その内容を野球部に少しずつ取り入れていくという内容。
この本がなぜここまで人気があるのかは理解しがたいが、「マネジメント」と聞くと、会社経営に興味がある人向け、と思って敬遠してしまう人が多いであろう内容を、会社以外の身近な組織(ここでは野球部)で説明している点と、そのタイトルとはイメージとしてかけ離れた表紙絵、挿絵などによるところも大きいだろう。
実際僕自身、そのオリジナルのドラッカーの考えなど一切知らないが、抵抗なくその基本的な考えに触れられる。

あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには、「われわれの事業は何か。何であるべきか」を定義することが不可欠である。

こういう説明をするとただのドラッカーの「マネジメント」の初心者版、というような響きをもってしまうだろうが、繰り返しになるが、それを「高校野球」という非営利な組織に適用している点は単に「身近な例」という意味以外においても大きな意味を持つように思う。特に「顧客とは誰か」という問いを高校野球について問う、というのが新鮮で、読む人によっては、人間関係を損得で計ろうという考え方を嫌う人がいるのかもしれないが、僕自身にとっては好意的に捕らえられる。

「顧客は誰か」との問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである。

また、そんな「マネジメント」だけでなく、高校野球の物語そのものも結構面白くて、感動的だったりするのはうれしい驚きだった。
さて、結局本作品ではそうやって高校野球を例にとって「マネジメント」の考え方はどんな組織にも応用できる、という内容なのだが、個人的には、組織に関わらず「個人」にも応用できると思った。
たとえば僕自身という「個人」に当てはめて、「われわれの事業は何か」との問いに、「人生を楽しく生きること」と定義するなら、その顧客は、生きるために必要なお金を与えくれる勤務先や、楽しい機会を与えてくれる友人だったりする。多少の悪行では見放さない親や兄弟は、筆頭株主といったところだろうか。
そうなるとマーケティングとはどういうことだろう。顧客が僕自身の商品である、「発言」や「雰囲気」や「外観」に何を求めているのか。個人にあてはめたときマーケティングだけが突然難しくなるのだが、それはきっと、飲み会のような砕けた場所に出向いて意見を聞いたりすることなのだろうか、自分の言動の直後の周囲の人の表情の変化、つまり「空気を読む」というのもマーケティングになるのだろう。
結局「マネジメント」なんて自分には縁のないもの、と切り捨てるのも読者次第。個人的にはただの話題性だけでなく、内容もオススメできる作品だと感じた。

ピーター・ドラッカー
オーストリア・ウィーン生まれのユダヤ系経営学者・社会学者。(Wikipedia「ピーター・ドラッカー」

「「英語公用語」は何が問題か」鳥飼玖美子

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
楽天やユニクロが社内の公用語を英語にするなかで、いったいそれにどれほどの意味があるのか、そもそも僕ら日本人はなんのために英語を勉強し、その問題点はどこにあるのか、そんな視点からプロの同時通訳者の著者が語る。
最近の迫りくる英語熱に「待った」をかけるような内容で、実際に多くの人が感じているであろうことを代弁している。何も考えずに「世の中の流れだから」と英語を勉強している人には耳の痛い内容も多々含まれているだろう。

三木谷氏は「英語はストレートに表現するが、日本語だとあいまいになる」から、「仕事の効率が上がる」と、よくわからない私見を開陳したようである(英語はストレートに表現するだけの言語ではなく、婉曲な表現もふんだんにあることは、言語コミュニケーションを少しでも勉強すれば分かる)。

著者が語っているのは、グローバル化=英語ではなく、グローバル化というのは文化や言語の多様性を最大限に利用してこそ成り立つもので、英語というひとつの言語を押し付ければ成り立つものではないということ。
そして英語をネイティブ波に使いこなせるようになるのは不可能であり、英語をなんのために勉強するのか、という目的を常に意識して勉強する必要があるということ、などである。
そんな中、なによりおおいに著者に同意したいのは次のこと。

大事なのは英語ができるかどうかの前に、話す内容があるかどうかである。

僕も英語を勉強していてたくさんの人と英語で会話を重ねるが、ときどきどんな質問をしても、熱心に語ってくれない人がいる。「この人にはどんな話題をふればいいのだろう」「そもそもこの人に話したいことなんてあるのだろうか」と。
そういう人は、自分がなにをどのように考え、なにを求めているか、そういうことをもう一度考え直す必要があるのだろう。そういう人が話せるか話せないかというのはもはや英語以前の、人間としての問題なのである。
また、著者は日本の英語教育や、多くの企業がその英語力を計る尺度として利用しているTOEICの信用性についても語っている。英語を学んでいる人、学ぼうとしている人はぜひ目を通すべき内容だろう。

外国語青年招致事業
地方公共団体が総務省、外務省、文部科学省及び財団法人自治体国際化協会 (CLAIR)の協力の下に実施する事業。英語の略称である『JETプログラム(ジェット・プログラム)』という名称も頻繁に用いられ、事業参加者は総じてJETと呼ばれることになる。(Wikipedia「外国語青年招致事業」
参考サイト
JETプログラム公式ホームページ

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「ひなた」吉田修一

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
就職したばかりの進藤レイ、その恋人で就職活動中の大路尚純(おおじなおずみ)、その兄の浩一(こういち)その妻の桂子(けいこ)。4人の男女の日常を描く。
4人それぞれの視点から日常を順番に眺めて行くため、誰もが悩みや不安を抱え、存在意義や居場所を求めて生きているのが見えて来る。
それとあわせて見えてくるのは、人は誰でも秘密を抱えているということだろうか。必ずしも、自分の非道徳的な行いや恥ずかしい過去を隠すためではなく、むしろその多くが今現在の人間関係を平和に維持したいがために維持されるのかもしれない。
生まれたときから自然と周囲にあった幸せ。気がついたら存在していたやさしい友人や家族。それらが何故そこに存在して、自分はどうやってそれを維持しているのか…。そんな、普段は考えないし、考えても簡単には納得のいく答えの出ないことを考えさせてくれるような不思議な雰囲気を持つ物語。
一般的な僕の小説に対する好みとして、あまり吉田修一作品が傾向として持っている、言いたいことを明確に示さない曖昧さは好きではないのだが、今回はなんか結構心揺さぶられた。
なにげなく散りばめられた他愛のない文章や、台詞のなかにも、なにか深いものを感じれるのではないだろうか。

子供のころ、秋になるとどこかもの悲しいのは、遊べなくなるからではなくて、遊び続けることに、楽しみ続けることに、人間が飽きてしまうということを、知らず知らずのうちに知ってしまうからではないだろうか。
ボリス・ヴィアン
フランスの作家、詩人である。セミプロのジャズ・トランペット奏者としても名をはせ、余技として歌手活動も行った。

【楽天ブックス】「ひなた」