「The Help」Kathryn Stockett

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
1960年代のミシシッピ州。そこでは黒人差別が未だに色濃く残っていた。黒人女性たちが家政婦として白人に仕えるなかで、ジャーナリストになる夢を持つ白人女性Skeeterは、黒人女性たちの声をまとめた本を作ろうと思い立つ。

物語は2人の黒人家政婦の生活から始まる。子供を愛するAibileenと、口は悪いがケーキを作らせたら右に出るもののいないMinnyである。

Aibileenは子供が好きで、仕えた過程の元で世話した子供たちの人数を誇りに思っていて、2人の幼い子供のいる家庭に勤めている。Minnyはとある出来事によってそれまでの雇い主から解雇され、白人のコミュニティのなかで孤立した風変わりな女性Celiaの元で働くことになる。Aibileenとその勤め先の子供達の関係も面白いが、MinnyとCeliaのおかしな関係も心を和ませる。

それほど遠い昔ではない1960年代にまだこれほどの差別が残っていたということに驚かされる。白人と黒人は、食事を同じテーブルですることもなければ、トイレやバスタブまで別のものを使うべきと信じられていたのだ。途中想起したのはルワンダのツチ族とフツ族のこと。彼らの差別は結果として大虐殺という事態に発展してしまったが、1960年代のミシシッピの黒人と白人もきっかけがあれば大きな混乱になっていたであろう。

こう書くと、当時の白人達はみんなが黒人を害虫のように扱っていたように思うかもしれないが、白人のなかにも差別を悪として親身になって黒人の家政婦たちに接していた人がいたということは知っておくべきだ。

さて、若い白人女性Skeeterは何か今までにない読み物を書こうと思い立ち、白人家庭に勤める家政婦達の声を本にすることを思いつき提案するのだが、思うように進まない。なぜなら、白人のSkeeterには簡単な決断に思えるものが、MinnyやAibileenにとっては大きな危険に自分の家族をさらすものなのである。その温度差が物語が進むにつれてひとつの目的の達成へと向かっていくのが面白い

私は周囲を見回した。私達は誰にでも見えるひらけた場所にいる。彼女にはこれがどれだけ危険なことかわからないのか...。公衆の面前でこんなことを話すということが。

本が出版されたら白人女性たちは誰のことが書かれているかわかるだろうか。黒人の家政婦たちを解雇するだろうか。そんな不安を抱えながらもSkeeter、Minny、Aibileenは秘密裏に出版に向けて奔走する。

日本は差別という現実にあまり向き合うことのない平和な国。それゆえに自分の無知さを改めて思い知らされた。物語中で引用されている人物名や組織名にも改めて関心を持ちたい。多くの人に読んで欲しい素敵な物語である。

公民権運動
1950年代から1960年代にかけてアメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動である。(Wikipedia「公民権運動」
モンゴメリー・バス・ボイコット事件
1955年にアメリカ合衆国アラバマ州モンゴメリーで始まった人種差別への抗議運動である。事件の原因は、モンゴメリーの公共交通機関での人種隔離政策にあり、公民権運動のきっかけの一つとなった。(Wikipedia「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」

「宇宙創生」サイモン・シン

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
宇宙はいつどのように始まったのか。この永遠の謎とも思えるこの問いに、人類は長い間かけて挑んできた。その奇跡をサイモン・シンが描く。
「フェルマーの最終定理」「暗号解読」で人々の知性が過去繰り広げてきた挑戦をわかりやすく、そして面白く見事に描いてきたサイモン・シン。そんな彼が今回選んだのが宇宙の物語である。
僕らは義務教育ゆえに地球は自転しながら太陽の周りを廻っていることを知っている。夜空の星が信じられないほど遠くにあることを知っている。しかし、人類がそれを常識として認識するまでには、何千年もの時が必要で、時には間違った方向に進んだりしたのである。
コペルニクスやガリレオ、誰でも知っている有名な物語からほとんど知られていないレアな物語まで、人類が地球の大きさ、月の大きさ、太陽の大きさ、夜空に見える星までの距離。最初は永遠に明らかになるはずがないと思われていた謎が、科学の発展と、天体に心を奪われた人々の執念深い観察と突飛な発想によって少しずつ明らかになっていく過程が描かれている。真実が真実として人々の中に定着するのに必要なのは論理的な推論と、観測によって裏付けられた事実だけでなく、政治的な問題や宗教的な問題も多くを占めることがわかるだろう。そのような問題をドラマチックに描いてくれるから本書は面白いのだ。

死は、科学が進歩する大きな要因のひとつなのだ。なぜなら死は、古くて間違った理論を捨てて、新しい正確な理論を取ることをしぶる保守的な科学者たちを片づけてくれるからだ。

前半はどこかで聞いたような古代の人々の物語が中心で、しっかりと理解しながら読み進められるが、後半は次第に理解を超えた話になる点が面白い。僕が初めて宇宙の物語を知ったときから「ビッグバン」というものが常識のように語られていたので、僕が生まれる数年前まで宇宙創生に関して、ビッグバン理論だけでなく、定常宇宙理論も多くの科学者によって支持されていた事実には驚かされた。

ビッグバンは、空間の中で何かが爆発したのではなく、空間が爆発したのである。同様に、ビッグバンは時間の中で何かが爆発したのでなく、時間が爆発したのである。空間と時間はどちらも、ビッグバンの瞬間に作られたのだ。

登場人物の多さで混乱してしまう部分もあるが、人類が長年かけて明らかにした宇宙の仕組みを非常に面白く描いているお勧めの一冊。

クエーサー
非常に離れた距離において極めて明るく輝いているために、光学望遠鏡では内部構造が見えず、恒星のような点光源に見える天体(Wikipedia「クエーサー」
CMB放射(宇宙マイクロ波背景放射)
天球上の全方向からほぼ等方的に観測されるマイクロ波である。そのスペクトルは2.725Kの黒体放射に極めてよく一致している。(Wikipedia「宇宙マイクロ波背景放射」
定常宇宙論
1948年にフレッド・ホイル、トーマス・ゴールド、ヘルマン・ボンディらによって提唱された宇宙論のモデルであり、(宇宙は膨張しているが)無からの物質の創生により、任意の空間の質量(大雑把に言えば宇宙空間に分布する銀河の数)は常に一定に保たれ、宇宙の基本的な構造は時間によって変化する事はない、とするもの。(Wikipedia「定常宇宙論」

【楽天ブックス】「宇宙創成(上)」「宇宙創成(下)」

「「なぜ?から始める現代アート」長谷川祐子

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
東京現代美術館のチーフ・キュレーターである著者が現代アートについてわかりやすく語る。
現代アートというと、西洋絵画や日本画と比べるとどうしても「わかりにくい」というイメージがあるが、著者は多くの現代アートを例にとって、それが制作された考え方などをわかりやすく語ってくれるので初心者にとっても非常にわかりやすい。現代アートというと「アートとは何か?」という定義への挑戦、的なイメージを僕は持っているのだが、そんなアートの定義として本書で著者が書いている次の言葉が印象に残った。

アートは、時を越えて生き残る「通時性」と、共有する現在をときめかせる「共時性」の、二つの力をあわせもっている。

いろんなアートやその考え方を説明する過程で出てくる作品やそのアーティストの考え方に魅了されてしまうだろう。「政治性」を持ったアートを説明している章では、「ゲルニカ」や「お腹が痛くなった原発くん」を例に挙げている。
アートを見る目を少し肥えさせてくれる一冊

フランク・ステラ
戦後アメリカの抽象絵画を代表する作家の1人。マサチューセッツ州、ボストン郊外モールデンに生まれ、プリンストン大学で美術史を学ぶ。(Wikipedia「フランク・ステラ」
ドナルド・ジャッド
20世紀のアメリカ合衆国の画家、彫刻家、美術家、美術評論家。当初は画家・版画家であり美術評論でも高い評価を受けたが、次第に立体作品の制作に移った。箱型など純粋な形態の立体作品は多くの美術家や建築家、デザイナーらに影響を与えている。抽象表現主義の情念の混沌とした世界の表現に反対し、その対極をめざすミニマル・アートを代表するアーティストの1人。(Wikipedia「ドナルド・ジャッド」
エルネスト・ネト
ブラジルを代表する現代美術家の一人で、布や香辛料など自然の素材を用いた作品で知られるアーティスト。2001年のヴェネチア・ビエンナーレではブラジル館の代表となるなど、既に世界的な評価は高く、出身地であるリオ・デ・ジャネイロを拠点にしながら、多くの展覧会、プロジェクトに参加している。(はてなキーワード「エルネスト・ネト」
マシュー・バーニー
アメリカの現代美術家。現在はニューヨーク在住。コンテポラリー・アートを代表する作家のひとりとして近年、台頭してきた。
フランシス・アリス
1959年ベルギー、アントワープ生まれ。メキシコシティ在住。社会的危機を抱いた都市空間を舞台にヴィデオや抽象絵画によって世間を挑発し続けるアーティスト。(はてなキーワード「フランシス・アリス」
SANAA
妹島和世(せじまかずよ)と西沢立衛(にしざわりゅうえ)による日本の建築家ユニット。プリツカー賞、日本建築学会賞2度、金獅子賞他多数受賞。(Wikipedia「SANAA」

【楽天ブックス】「「なぜ?」から始める現代アート」

「ブレイズメス1990」海堂尊

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
1990年、天才心臓外科医天城雪彦(あまぎゆきひこ)が東城医大へ赴任する。新しい天城(あまぎ)の医療スタイルや考え方は東城医大の医師たちに衝撃を与える。
同じく数十年前を扱った「ブラックペアン1988」の3年後の物語。その中では古くからいる医師を追い出す結果となった高階(たかしな)が、今回は天城(あまぎ)の日本医療と相容れない考え方に猛然と反発する。簡単に言えば、天城(あまぎ)は医療を進歩させて医療を維持するためには、お金を缶から受け取る必要があり、医師の数は限られているのだから、多くの金を払える人から治療すべき、というのに大して、高階(たかしな)は医療にカネの話を持ち出すべきではないというのである。

真実は、腕があってもカネがなければ命は救えない。だから医療は独自の経済原則を確立しておかないと、社会の流れが変わった時、干からびてしまう。

著者はもちろん、この作品を社会の流れが変わって、「医療崩壊」という言葉が広まったあとに本作品を書いているのである。つまり、天城(あまぎ)の本作品中で見せる態度は、医療界が本来20年前にやるべきだったこと、として描かれているのだろう。高階(たかしな)と天城(あまぎ)の議論が非常に深みを感じさせるのは、今の状況があるがゆえである。
そして天城(あまぎ)は自らの言葉を実践すべく公開手術へと向かっていく。

「天城先生は、医療現場においては命とお金と、どちらが大切だとお考えですか?」
「カネよりも命のほうが大切だ、という青臭い戯言には同意しますが、カネがなければ命も助けられないという現実から目を逸らすわけにもいきません。

東城医大の物語の歴史をさらに深くする一冊である。
【楽天ブックス】「ブレイズメス1990」

「暗号解読」サイモン・シン

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
人には秘密があり、誰かにそれを伝える際にその秘密を守るために暗号がある。人は暗号を考案してはそれを破ってきた。暗号の進化の歴史をそれに関連するエピソードを交えて描く。
著者の代表作でもある「フェルマーの最終定理」。こんな難しい題材をどうやって読者に面白く伝えるのだろう?という疑問を見事に吹き飛ばしてくれたサイモン・シンが暗号について書いたのだからおのずと期待は増してしまう。実際その内容はその期待を裏切らないものであった。
多くの暗号エピソード同様、初期のアルファベットをずらした暗号から、第二次大戦中のドイツの暗号機エニグマ。いずれもその仕組みとそれを解読した人々の努力を非常に面白く描かれている。いずれのエピソードもその暗号の歴史的重要性を示しながら展開するので物語性も十分である。

ポーランドがエニグマ暗号を解読できたのは、煎じ詰めれば三つの要素のおかげだった。恐怖、数学、そしてスパイ行為である。侵略の恐怖がなければ、難攻不落のエニグマ暗号に取り組もうなどとは、そもそも思いもしなかっただろう。

また、暗号だけでなく、古代のヒエログリフの解読についても触れている。ヒエログリフは文字であって暗号ではないのだが、その解読の手順は非常に似通っている。現代の人間が誰もその当時の声を聞いたことがないにもかかわらず、ヒエログリフがどのような音で発音されていたかまで明らかになっているという話は、本書を読むまで信じられなかったのだが、解読者たちのその思考の流れを本書とともに追うことで納得することができた。
そして、中盤を過ぎると暗号の伝達方法も手紙からメールとなり、公開鍵、RSA非対称暗号へと移っていく。一方向関数を利用したRSA暗号のエピソードはいろいろな書籍で目にするが、何度読んでも面白いしそれを作り上げた人々に感心してしまう。
終盤では、現代の暗号もいつか破られることがあるのか?という考えで、量子コンピュータに触れるとともに、犯罪をも助ける暗号技術を国が規制すべきか否か、という点についても語っている。
理系の人間にとっては大満足の一冊となるだろう。

線文字B
紀元前1450年から紀元前1375年頃までミュケナイ時代に、ギリシャ本土からエーゲ海諸島の王宮で用いられていた文字である。(Wikipedia「線文字B」
鉄仮面
フランスで実際に1703年までバスティーユ牢獄に収監されていた「ベールで顔を覆った囚人」。その正体については諸説諸々。これをモチーフに作られた伝説や作品も流布した。(Wikipedia「鉄火面」
エニグマ
第二次世界大戦のときにナチス・ドイツが用いていたことで有名なロータ式暗号機のこと。幾つかの型がある。その暗号機の暗号も広義にはエニグマと呼ばれる。(Wikipedia「エニグマ」

【楽天ブックス】「暗号解読(上)」「暗号解読(下)」

「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」辻野晃一郎

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
ソニーでVAIO、スゴ録などを生み出し、その後グーグル日本代表取締役を務めた著者がソニーと、グーグルについて語る。
タイトルにグーグルの名前があるが、内容の大部分は著者のソニー時代のエピソードで占められている。入社当時、すでに立派な企業であったソニーはすでに大企業病に陥っており、過去の人々が築き上げた栄光にすがって努力をしない人々がいた。本書のなかで語られるエピソードからは、そんな組織のなかで著者が悪戦苦闘する様子が伝わってくる。

「まあ、ソニーだからなぁ。出せば売れるんだよ」
こういう連中が偉そうな顔をしてふんぞり返り、過去の栄光にすがって何もしないからソニーはどんどん駄目になっていくんだ。

第七章では「ウォークマンがiPodに負けた日」としてAppleのiPodとiTunesについても語っている。著者が言うにはインターネットで最初に音楽配信をやったのはソニーだったということ。にもかかわらず、人々の音楽の楽しみ方の変化についていけなかったゆえにアップルとの差は開く一方。すでにいろんなメディアで語られたアップルの成功物語であるが、それをソニーの内部という違った目線から語られるので新鮮である。

当時の旧ウォークマン部隊の人達は、iPod対抗を議論するときに、依然として「音質の良さ」とか「バッテリーの持ち時間」、果ては「ウォータープルーフ(防水加工)」などの話を主題として持ち出してくるので唖然とした。
新商品発表会でスピーチをする直前、スタッフが入手してきたiPod nanoが手元に届いた。彼等の新製品を一目見た瞬間に、私は敗北を悟った。

最後に、自らの体験を振り返って、これから日本の企業がどうあるべきかを語る部分が非常に印象的である。異なるタイプの世界的な企業に勤めた経験がある著者が語るからこそ非常に重みを持って響いてくる。

まず日本でうまくいったら次はアジア、そして欧米、といったような順次拡大の発想をするのではなく、最初からいきなりグローバルマーケットに打って出る、といった大胆なアプローチを考えて欲しいものだ。それが世界に貢献する日本を取り戻す未来に繋がる唯一の道であると思う。

今のこの変化の激しい時代を生きることを大変と思う人もいるだろうが、むしろ、様々な生活を楽しむことのできる貴重な時代に生きている、と前向きに受け取ることもできる。著者が締めくくったそんな内容のエピローグにはなんか元気をもらえた気がした。
【楽天ブックス】「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」

「Howl’s Moving Castle」Diana Wynne Jones

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
帽子屋の姉妹3人は、父親の突然の死によってそれぞれの道を歩むこととなる。2人の妹が家をでたあとに、帽子屋を受け継いだ長女のSophieは、突然やってきた西の魔女の魔法で年老いた女性となってしまう。
ハウルの動く城の原作である。映画のなかでSophieの見た目が若くなったり年老いたりする理由を知りたくて手に取った。そんな動機なのでどうしても映画と比較しながら読み進めてしまったが、後半はかなり内容が異なっていて十分に楽しむことができた。
物語はハウルの城で過ごすことにしたSophieとHowlに弟子入りした少年Michael、そしてHowlと火の悪魔Calciferうを中心に繰り広げられていく。とはいえそんななかにも不思議な因果関係がある。CalciferとHowlは契約を交わしており、その契約によってCalciferは城の暖炉から動くことができない。そして、Calciferは自分のHowlとの契約を解除してくれれば、西の魔女がSophieにかけた魔法を取り除くことを約束する。しかし、その契約を解除する方法はCalciferもHowlも契約によって口にすることはできないのである。
城のなかで過ごしながらSophieはなんとか、その契約を解く方法を探る。その一方で、Howlは西の魔女との一騎打ちを避けようといろいろ思考を凝らす。Sophieの2人の妹も物語に大きくかかわってくる点が印象的である。
原作を読めばいろいろなぞは解けるだろうと思っていたが、解けた部分もあれば一段と深まった部分もあり、思ったのは、もう一度映画を見なければならない、ということ。

「生きながら火に焼かれて」スアド

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
ヨルダン川西岸のある村で生まれ育ったスアドが、その村の慣習ゆえに家族の恥として、火あぶりにされた経験を描く。
前半はスアドの火あぶりにされるまでの生活を中心に進む。そこに描かれているのは血のつながった家族でありながらも、女性の扱いは家畜以下の奴隷同然といった慣習である。世の中にはまだまだ女性軽視の考え方の強い国があることは理解しているつもりでいたが、描かれる内容はそんな僕らが想像できる非道さをさらに上回るものであった。それは「虐待」という程度のものではなく、家畜以下、奴隷同然の扱いなのである。そして、家族を殺しても大して罪に問われることがないというのだから驚くばかりである。実際スアドは妹が兄によって電話のコードで首を絞められる様子を見ているという。
幼い頃からそういう社会で育ったスアドは、学校にいくこともないため学ぶことも、そういう考え方以外を知ることもなかった。そんな何一つ安らぐ瞬間のない生活の中で、やがて一人の男性と恋をして妊娠してしまうのだ。お腹が大きくなってきて妊娠を隠せなくなったスアドを、家族は「家族の恥」として殺す決断をするのである。
後半は、そんな大やけどを負ったスアドがひとりの女性、ジャックリーニと出会ったことで別の国へ移り済み、そこで過去と向き合って幸せをつかむまでを描く。印象的なのは、大人になってからもスアドはユダヤ人の店を避ける点だろう。彼女は頭ではユダヤ人に何一つひどいことをされた覚えがないと理解していながらも、幼い頃から「ユダヤ人はブタだ」と刷り込まれたせいで論理的に行動できないのである。ほかにもいくつか同様のことがスアドの行動の記述から見て取れる、成長過程の考え方、教育がはその人の一生に大きく影響を与えてしまうのである。
本書のなかでも書かれているが、スアド自身が本書を書くのに強い意志が必要だったのもわかるし、内容からもそんな強い思いが伝わってくる、いろんな人に読んで欲しい作品である。

参考サイト
Fondation SURGIR – Accueil

【楽天ブックス】「生きながら火に焼かれて」

「War Horse」Michael Morpurgo

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
イギリスの牧場でその牧場主の息子、Archureと共に畑を耕していた馬Joey。幸せな生活を送っていたJoeyだが、国が戦争へと向かう中でやがて、騎兵隊の一員として戦争に参加することとなる。第一次世界大戦の混乱を駆け抜けた一匹の馬の物語。
物語が馬Joeyの目線で進む点が面白い。戦争によって飼い主の思いも関係なく戦争に参加することを強いられる。戦争という混乱の中ゆえにJoey自身にも多くの出会いと別れがある。尊敬できる馬との出会い。嫌いな馬との出会い。頑張り屋のポニーとの出会い。馬の気持ちを理解してくれる将校や、若い兵士、やさしい少女との出会い。
もちろんJoey自身は動物なのでいななくことしかできないが、その周囲で同じように戦争に参加する人々がひとり言のようにJoeyに向かって語る言葉が、戦時中の人々の本音を表しているようだ。

俺にはわかる。俺だけた唯一この部隊のなかで正気な人間だって。おかしいのは他の奴らさ。でも彼らはそれがわからない。彼らは理由も知らずに戦うんだ。
どうしてなんだ・・・。どうして戦争はすばらしいもの、美しいものを何でも、何もかも壊してしまうんだ。

動物という純粋さのせいだろうか、人間同士の物語であれば見慣れた出会いや別れの物語が、動物目線にするとこんなにも感動的な物語になるのだ。

「ヒトリシズカ」誉田哲也

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
暴力団が殺害された現場で目撃された中学生、伊東静加(いとうしずか)は、その後も家族のもとには戻らずに行方をくらました。
別々の時代の別々の警察関係者から、いくつかの事件が語られる。そんな中で浮上する一人の女性、伊東静加(いとうしずか)。警察や世間の男を忌み嫌う静加(しずか)の目的は何なのか。前後して展開される静加(いとうしずか)の母親の物語から、その過去が次第に明らかになっていく。
孤独に生きている女性を描きながら、常に外からの目線だけで、本人には決してその心情を語らせずに、その人間をより謎めいた雰囲気を演出する作品としては、すでに宮部みゆきの「火車」、東野圭吾の「白夜行」という名作が世に出ている。そのため二番煎じの感は否めないが、それでも全体的にかもし出される雰囲気は独特のものがある。「ジウ」シリーズでもお馴染だが、この暗く切ない雰囲気作りは誉田哲也の得意とするところである。
【楽天ブックス】「ヒトリシズカ」

「鉄の骨」池井戸潤

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第31回吉川英冶文学新人賞受賞作品。
中堅ゼネコンに勤める若手の富島平太(とみしまへいた)は業務課に異動になり公共事業の受注にかかわることになる。
一言で言ってしまえば本作品のテーマは「談合」である。一般的には悪とされる公共事業落札価格の操作であり、異動になった平太(へいた)もまたそういう認識でいるが、その中で働いていくにつれて次第に業界を守るために必要な悪、として受け入れていく。
その一方で、平太(へいた)の恋人である萌(もえ)は銀行に勤めている立場からゼネコンを見るから、また異なる視点が感じられるのである。そんななかで平太(へいた)の勤める一松組は生き残りをかけて大型公共事業を受注しようとするのだが、業界の調整役が動き出して待ったをかける。
「談合」という物に対して、いろんな視点から見た考え方が描かれている点が興味深い。「談合」は必要なものなのか、それとも本当に自由競争こそ世の中に明るい未来をもたらすのか。もちろん、明確な答えは本書の中にも世の中にもまだないが、ゼネコン業界にそんな興味を持って目を向けさせてくれる一冊。
【楽天ブックス】「鉄の骨」

「Only Time Will Tell」Jeffrey Archer

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
1919年にイギリスに生まれたHarry Cliftonを描く。
父のいない貧しい家庭で育ったHarryが成長する様子を描く。面白いのは物語がHarryだけでなく、母Maisie Cliftonやよき助言者となったOld Jackなどの目線で展開する点だろう。
そのHarryの成長する過程で多くの困難を乗り越え、そして父の死の真相と向き合うことになる。物語的面白さだけでなく当時のイギリス歴史やその生活が見えてくる点が興味深い。
残念ながら本作品は「The Clifton Chronicles」の第1作ということで、イギリスが戦争に向かうところで物語を続編へと譲ることになるが、続編もぜひ近いうちに読んでみたい。

「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」ランス・アームストロング

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
アメリカ人の自転車選手ランス・アームストロングの半生。自転車選手として頭角を現す過程と、睾丸癌により死の淵に立たされてから再び復活するまでを描く。
「マイヨ・ジョーヌ」とは、世界最高峰自転車レース、ツールドフランスでトップの選手が着ることを義務づけられたウェアのこと。とはいえ本書は自転車選手の生涯というよりも、著者自身が強調しているように癌という病気から復活した一人の人間の物語と言う側面が強い。
本書のなかでは病気に限らず、自転車レースがメジャーではないアメリカという国で育った故に、ランスが直面することになった困難が描かれている。その困難を克服する彼の信念は培ったのは、その周囲の人々によるところが大きい。特に、ランスの母が彼に接する様子は非常に印象的である。女手一つで息子を育てながら、常にランスの考えを支持し、決して彼のやることを否定せず、常に挑戦することを求め続けたのである。

母はただ、誠実に努力すれば物事は変わり、愛は救いをもたらす、ということを知っていただけだ。「障害をチャンスに変えなさい。マイナスをプラスにするのよ」と言うとき、母はいつも自分のことを言っていたのだ。僕を産むという決心をしたこと、そして僕を育てたそのことを。

そして、睾丸癌の告知。生死の縁に立たされたことのある多くの人同様、それまでやや傲慢だったランスの考えが次第にではあるが大きく変わっていくのがわかる。

恐怖とはどういうものか、僕は知っていると思っていた。自分が癌だと聞かされる前は。本物の恐怖、それはまぎれもない、まるで体中の血が逆流するような感覚とともにやってきた。
どうして自分が?どうして他の人ではなく自分が?でも僕は、化学療法センターで僕の隣に座っている人より、価値があるわけでもなんでもないのだ。

そして終盤は妻、キークとの出会いと、失意の日々から抜け出してツールドフランスで優勝するまでが描かれている。キークもランスの母と同様、非常に洗練されて思慮深い女性として描かれていて、母とキークだけでなく、ランスが多くの理解者にめぐまれていたということが全体を通じての印象である。
著者ランス自身が、その闘病生活を振り返って、「それまで言われた言葉のなかでもっともすばらしい言葉」として看護婦がランスに言った言葉がある。

いつかここでのことは、あなたの想像の産物だったと思える日が来るように祈っているわ。もう私は、あなたの残りの人生には存在しないの。ここを去ったら、二度とあなたに会うことはないよう願っているわ。そして、こう思ってほしいのよ。『インディアナの看護婦って誰だっけ?あれは夢の中だったのかな』

「明日死ぬとしたら」という問いは、生きている時間の大切さを考える上でよく投げかけられるものではあるが、なかなかそういう風に生きられるものではない。人は怠けるし、現状に甘んじてやるべきことを、いつでもできること、と思ってしまう。本書で描かれているランスの人生はまさに、そんな怠けた心に活を入れてくる。僕はやるべきことをやっているか。やりたいことをやっているか、と。たまたま自転車レースについて調べて本書を知ったが、読み終えて思うのは、本書はもっと多くの人に知られて、もっと多くの人に読まれるべき価値のある本だということ。
【楽天ブックス】「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」

「フェルマーの最終定理」サイモン・シン

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
17世紀に数学者フェルマーが残した定理。その余白には「証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」とあった。以後、3世紀に渡って世界の数学の天才たちの挑戦を退けてきたこの定理がついに1994年アンドリュー・ワイルズによって証明されることとなった。
数学が好きな人間なら誰でも聞いたことがあるだろう。「フェルマーの最終定理」をここまで有名にしているその理由の一つがそのわかりやすさである。数学の素人でさえもその定理が言っていることの意味はわかるゆえに誰もが証明したくなるのだが、それを証明することも判例をみつけることもできない。
本書は数学における「証明」というものの意味、そして数学者の性質から非常にわかりやすく、そして面白く説明している。タイトルを聞いただけで数学嫌いな人は敬遠してしまうのかもしれないが、本書は本当にすべてをやさしく書いている。
さて、そして物語は徐々にそのフェルマーの最終定理の核心へと繋がっていく。驚いたのは、その証明にあたって、日本人の数学者志村五郎(しむらごろう)と谷山豊(たにやまゆたか)によって考え出された谷山=志村予想が大きな鍵となったことである。
過去、多くの人がその証明に挑戦し敗れるなかで編み出されたいくつもの数学的証明手法をいくつも見ることで、フェルマーの最終定理は決してただ一人の数学者によって証明されたわけではなく、アンドリュー・ワイルズを含む多くの数学者による努力の積み重ねによって成し遂げられたとわかるだろう。
そんな数学者たちの300年の汗と涙がしっかり感じられるから、アンドリュー・ワイルズの証明の瞬間には鳥肌が立ってしまった。

そろそろお茶の時間だったので、私は下に降りていきました。私は彼女に言いました——フェルマーの最終定理を解いたよ、と

現代に生きる人は思ったことがあるだろう。科学が発展し地上のすべてがすでに切り開かれ、未知なる物など地球上にはなく、なんて退屈な世の中なのだろう…と。しかし、本書は見せてくれる。数学の世界にはまだまだ未知なる世界があふれている、と。
わからない言葉もいくつかあったが、数学という世界の魅力を存分に伝える一冊である。
【楽天ブックス】「フェルマーの最終定理」

「エッジ」鈴木光司

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
長野、新潟、カリフォルニア。各地で発生している失踪事件。父親が失踪するという経験のある栗山冴子(くりやまさえこ)は失踪事件を扱うテレビ番組のメンバーに加わることになる。
ついさっきまで存在していたかのような痕跡を残して人が失踪する。本作品でも触れられているマリーセレスト号の話は非常に有名であるが、本作品がすごいのは、やはりプロローグである数ページで作り出す、失踪のその空気感である。鈴木光司のその巧みな描写技術はおそらく「リング」で多くの読者が経験したのだろうが、本作品でもそれは健在。これが明らかにSF的内容である本作品まで「ホラー」というカテゴリーに含まれてしまう理由だろう。
さて、失踪事件というと、多くの人は超自然的な話を想像するのかもしれないが、実際にはむしろ非常に科学的な話である。本作品で世の中が狂い始めている…と科学者たちに思わせた最初の出来事は、無理数であるはずの円周率πがある桁以降で0になってしまう、というもの。磁場やフォッサマグナなど、失踪という荒唐無稽でありえない話が、科学的なことや、未解決な歴史的事実と絡めて説明されるうちにどこか真実味を帯びて聞こえる点が面白い。

紀元前三千年から二千年に作られたエジプトや南米のピラミッドには既に円周率が使われている。しかし、歴史上円周率の発見は、それよりずっと後の時代とされている。

そして、冴子(さえこ)と番組のメンバーたちは、真実に近づくどころか、真実の法が人々の目の前に次第に姿を現していく。リーマン予想、反物質、インカ帝国、あるはずのない南極大陸の地図、など好奇心を刺激する要素の数々。きっとこれからも鈴木光司(すずきこうじ)の作品は迷わず手に取ることになるだろう。そう思わせる内容である。

オーパーツ
それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品を指す。(Wikipedia「オーパーツ」
歳差運動
自転している物体の回転軸が、円をえがくように振れる現象である。歳差運動の別称として首振り運動、みそすり運動、すりこぎ運動の表現が用いられる場合がある。(Wikipedia「歳差」
リーマン予想
ドイツの数学者ベルンハルト・リーマンによって提唱された、ゼータ関数の零点の分布に関する予想である。数学上の未解決問題のひとつであり、クレイ数学研究所はミレニアム懸賞問題の一つとしてリーマン予想の解決者に対して100万ドルの懸賞金を支払うことを約束している。(Wikipedia「リーマン予想」
ピーリー・レイースの地図
オスマン帝国の海軍軍人ピーリー・レイースが作成した現存する2つの世界地図のうち、1513年に描かれた地図のことを指す。この地図は、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」し、アメリゴ・ヴェスプッチが南アメリカを調査してから間もない時期に描かれているにもかかわらず、アメリカ大陸を非常に詳細に描いており、コロンブスやヴェスプッチの原図が失われた現在では、アメリカ大陸を描いた史上最古の地図といわれる。(Wikipedia「ピーリー・レイースの地図」
フォッサマグナ
日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目とされる地帯。中央地溝帯とも呼ばれる。(Wikipedia「フォッサマグナ」

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「No Time for Goodbye」Linwood Barclay

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
ある朝、14歳の少女Cynthiaが目覚めると父も母も兄もいなくなっていた。それから25年後、結婚して娘と3人で暮らすCynthiaはいまだに25年前の夜の出来事を忘れられずにいた。
物語は家族の失踪から25年後、Cynthiaの夫のTerry目線で進む。過去の経験から娘のGraceから目が離せないCyinthia。それに対して、過去を忘れて前へ進むべきだと主張するTerry。前半は、そんなぎくしゃくした家族のやり取りで展開する。
印象的なのは25年間、失踪した家族の理由を考え続けて、何度も「自分のせいかも?」と自分を責め続けたCynthiaの心のうちだろう。
家族の失踪に対して物語的に説明をつけようとすればいくらでも説明のつく出来事を考えることはできる。それゆえに期待はずれな結末を覚悟したりもしたのだが、結末に待っていた真実は予想以上に深く泣ける家族の物語だった。
おそらく今年もっとも泣かされた物語。

その後の数時間に起こったことによって、そのメモはただのメモではなく、母親が娘に遺した最後のメモになってしまった。

「Fire Starter」Stephen king

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
実験的投薬によって不思議な力を身につけたAndyとVicky、しかし2人の娘Charlieはさらに強力な力を持つこととなる。それは念じるだけで火をおこすことのできるパイロキネシスだった。AndyとCharlieはその力のために組織Shopから追われることとなる
宮部みゆきのクロスファイアのもととなった物語と聞いて非常に興味を持って手に取った。物語の鍵となるのパイロキネシスという能力を持ちながらもその力をコントロールしきれないゆえに自らの力におびえる7歳の少女Charlieと、その父親で人の心を操作する能力を持つAndyである。
2人はその逃避行のなかでたびたびその力を使わざるを得ない状況に陥るのだが、使い過ぎることによって自らの体力や命さえも脅かすのである。個人的にはCharlieの力が無意識に出てしまうシーンなどが印象的だ。たとえば、泣きわめくCharlieの横で、温度計の目盛りがじわじわ上がっていくのを見て、なんとかCharlieに平静さを取り戻させようと努めるAndyのシーンや、階段を降りようとしてテディベアのぬいぐるみにつまずいた次の瞬間にぬいぐるみが燃え上がるシーンなどがそれである。
さて、超能力者を中心にすえた物語は多々あるが、終わりはだいたいその人が死ぬか能力を失うか、である。Stephen Kingがこの物語をどうやって終わらすか、という点も途中から僕の興味をそそる部分だったのだが、その点も及第点をあげられるだろう。幼い女の子Charlieがその年齢に似合わないたび重なる試練を乗り越えて成長していく物語としてその心の揺れ動くさままでしっかりと描かれている。
ややスピード感に欠けると感じる部分もあるが非常に満足できる内容である。

「アリアドネの弾丸」海堂尊

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
不定愁訴外来の田口公平(たぐちこうへい)は新たに設置されるエーアイセンターのセンター長を任される。しかし、不審な事件が起こり始める。
エーアイとは、「Autopsy imagin」のっ略で死亡時画像診断とも言われており、著者海堂尊(かいどうたける)はデビュー作の「チームバチスタの栄光」からその利便性を訴えている。そして同時に、その利便性にもかかわらずその使用が広まらないのが、解剖という行為が司法と医療という境界上に位置するためその利権争いによってであるとも、繰り返し著書のなかで触れられている。
さて、本書も当然そのような話が多く触れられているが、ミステリーとしてもなかなか傑作に仕上がっている。なんといっても、エーアイセンターが発足するにあたって田口公平(たぐちこうへい)は「チームバチスタの栄光で」活躍した白鳥圭輔(しらとりけいすけ)と「イノセントゲリラの祝祭」で強烈な印象を残した彦根新吾(ひこねしんご)をオブザーバーおよび副センター長に据えるから、このシリーズを読み続けている人にとっては興奮させる展開である。2人のロジカルモンスターが競演するのである。
そして物語は、コロンブスエッグと呼ばれる縦型MRIの周辺で起きた殺人事件の真相解明へと移っていく。強烈な磁場を形成するMRIゆえにその周囲での金属の取り扱いに注意しなければならない、読者はすぐにそれが何らかのトリックに使われるだろうことは気づくだろう。それをどう物語に仕上げ、それをどう解決するか、それが本作品の鍵であるが、個人的には十分及第点をあげられる内容といえる。

もしも医療主導でエーアイセンターが完成したら、エーアイが第三者として司法解剖を監査できる。警察は捜査現場の問題を、司法解剖の闇に紛れ込ませ誤魔化してきた。それが全部明るみに出れば、法医学者はもちろん、警察にとっても死活問題だ。

エーアイという題材を用いてミステリーを描き、訴えたい内容をしっかりと読者に伝えるそのバランスがすごい。
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「ギフト」日明恩

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
レンタルビデオ店によく訪れた少年は死者を見ることができる。過去の出来事を引きずって立ち直れない元刑事須賀原(すがわら)は少年と一緒に死者の言葉を聞こうとする。
死者が見える、という比較的使い古された設定ではあるが、著者もそこは十分に理解しているのだろう。最初に少年が登場するシーンで、少年は「シックス・センス」のDVDのパッケージを見て涙を流している、というように、その考え自体決してオリジナルではないということは、過去の幽霊が登場する映画の名前を作品中に多く出すことによって早々に主張している。そういうわけで、ではその題材をどうやってオリジナルの物語として紡ぎあげるか、という視点で楽しむことになった。
著者、日明恩はこれまでにも「鎮火報」や「そして警官は奔る」など、登場人物の深い心情描写で非常に印象に残っているのだが、消防士や警察官など、基本的には現実的な物語だった。そういう意味で死者が見える超能力者というのは非常に新しいのだが、物語中では死者も生者同様のふるまいしかしないため、人と人の物語として安心して読み進められるだろう。
さて、須賀原(すがわら)と少年はその少年の能力によって、数人の死者と話をすることになる。交差点の事故で亡くなった年配の女性。幼くして池に落ちた幼い女の子。虐待されても人と一緒にいることを好む犬。死者も生きている人も含めて、自分のことよりも、家族や兄弟のことを必死に思いやっているのが印象的である。
そして最終的に、須賀原(すがわら)は、未だ忘れられない過去の出来事と向き合うこととなる。それはつまり須賀原(すがわら)が職務質問をしたためにあわてて交差点へ飛び出して事故死した少年、その霊と会話することである。何故そんな行為に及んだのか、何故そんなにあわてて逃げる必要があったのか。そんな疑問が明らかになるにつれて、人間の持つ複雑かつやさしい気持ちに触れることができるのではないだろうか。
本作品が示す、死者と言葉を交わすことで次第に解けていく誤解は、つまり、もっと会話を交わすことができれば、多くの死者を救うことができたということを暗示しているのだろう。
人と人との「思いやり」の物語。死者の言葉を通じでそれが感じられる。未だ実力に注目度が追いついていないと思える日明恩のお勧めできる本の一つ。ちなみに、テーマとしては高野和明の「幽霊人命救助隊」なども非常に近い気がする。本作品が気に入った方はぜひそちらも手にとってほしいところ。
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「エデン」近藤史恵

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
白石誓(しらいしちかう)はフランスのロードレースチームに所属している。ツール・ド。フランスで出会ったのは、敵チームに所属していて、めきめきと頭角を現してきたニコラとその幼馴染であるドニだった。
「サクリファイス」の続編である。前作は日本でのロードレースを扱っていたたが本作品はその3年後の物語。全作品と同様ロードレースという日本ではとても注目度が高いとはいえないプロスポーツの世界ゆえに、その世界に身を置く選手たちやその環境などどれも新しいことばかりで非常に面白い。
誓(ちかう)は、チームのエースであるフィンランド人のミッコをアシストすることを自らの役割としてレースを戦うが、すでにチームの解散が現実味を帯びている状態ゆえに、チーム内の選手間や監督との間に不和が広がる。
そしてレース全体を覆うのはドーピング問題。それはもはやドーピングをした選手がいるチームの問題だけに限らず、ドーピングの事実が発覚することはロードレースの人気の低下、そしてスポンサー離れにつながるゆえに、選手たち全員に影響を与える問題。さまざまな要素を物語に織り込みながら誓(ちかう)はレースを戦っていく。
そして全作品にも劣らないラスト。すでに出版されている続編「サヴァイブ」も近いうちに読みたいと思わせる十分な内容である。

最初は罪のない、誰も傷つけない嘘のはずだった。
マイヨ・ジョーヌ
自転車ロードレース・ツール・ド・フランスにおいて、個人総合成績1位の選手に与えられる黄色のリーダージャージである。各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少なかった選手がマイヨ・ジョーヌ着用の権利を得る。(Wikipedia「マイヨ・ジョーヌ」

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