「ヘーメラーの千里眼」松岡圭祐

オススメ度 ★★★★★ 5/5
千里眼シリーズ。岬美由紀(みさきみゆき)のストーリー。今回は美由紀(みゆき)の航空自衛隊時代の先輩であり恋人でもあった伊吹直哉(いぶきなおや)一等空尉が訓練中に誤って基地内に進入して標的の中に隠れていた少年、篠海悠平(しのみゆうへい)を誤射してしまったことから始る。

前作「千里眼の死角」で若干ストーリーの設定的に行き過ぎた感があったため、このシリーズをしばらく手に取ることを憚(はばか)られていたが、結局番外編を除いた千里眼シリーズをすべて順番どおりに読破していることとなる。

そんなシリーズの中で、この作品は少し趣が異なり、美由紀(みゆき)の臨床心理士としての活躍よりも二等空尉としての活躍の方が多く、また過去の美由紀の自衛隊時代の話にも触れている点が非常に新鮮である。また伊吹直哉(いぶきなおや)にも同様に深い心理描写があり、2人の主役がいるようなシリーズの中では珍しい設定となっている。

事件の内容を確認する会議の中で伊吹(いぶき)が発する言葉に戦争の矛盾を感じる。

「いつかは人を殺す運命だったんです。それが仕事ですから。過失は、殺した子が日本人だったという点のみです。」

また太平洋戦争中のミッドウェイ海戦で国民に嘘の情報を伝えた国家の隠蔽体質にも触れるなど、今回の物語はシリーズの中でももっとも多くのテーマに盛り込んでいるように感じた。悠平(ゆうへい)の祖父の峯尾(みねお)はこんなふうに昔のことを語った

「きみらの想像では、当時の私らはみんな暗い顔で、虐げられたわが身の不幸を嘆きながら飢えに耐えていたと信じてるかもしれないが、そんなことはない。みんな生き生きしていたし、活力もあったし、正しいと信じてた。だから玉音放送は悔しかったし、悲しかった。」

僕らは物心つく前の時代を教科書でしか知らない。そして教科書に載っている文字から当時を想像し、それを現実として受け止めてきたのだ。時代の流れの中で仕方がないにしても、可能な限り言葉で語り継ぐべきものなのかもしれない。

物語中、僕から見ると完璧としか見えない美由紀(みゆき)が多く葛藤を繰り返すシーンもまた考えさせられる。

 
結局、自己嫌悪にしか陥るしかない自分に気づいた。なにもかも人を嫌うことばかり結びつけて、いったい自分は何様のつもりだろう。もう少し謙虚さを抱けないものだろうか

結局人はいつになっても満足することはできないのだろうか。
物語終盤では自衛隊という組織の中で国を守るという自衛隊員の強い連帯感を感じる。そんな中、迷いのある隊員に向かって美由紀は叫んだ。

人の価値は定まってなどいない。未来が自分の価値を決めるんだ」

そして出撃前にこうも叫んだ。

「かつて、いちどたりとも侵略に屈せず、支配に没せず、途絶えることのなきわが民族、わが文化。四季折々の美しき母国。栄えある歴史も過ちも、すべてわれらのなかにあり。日本国の名を背負い、命を懸けて守り抜く」

僕らは国民の誇りなどすっかり忘れていないだろうか?

そして、そんな忘れ去られたものが「自衛隊」という、普段は近づきがたいフェンスの向こうに、日本の中に確かに残っているのだ。さらに、任務を遂行することでいつまでも青春に浸っていられる彼らをうらやましくも感じた。きっとそれは厳しい訓練を乗り越えたものだけが味わえるものなのだろう。もしまだチャンスがあるならそんな気持ちを味わってみたいものだ。そう思わせてくれる作品であった。数ある千里眼シリーズの中でも特にオススメの作品である。

ストローク(心理学用語)
人間同士が交流する時の、相手に対する投げかけのことをいう。
この投げかけとは、言葉をかけることだけでなく、握手したり、抱きしめたりするスキンシップもそうだし、微笑みかけたり、頷いたりするような視線のやりとり、動作等も含まれます。気持ちの良いストロークが得られないと、逆にマイナスのストロークであっても与えてもらいたいという行動や言動を取るという。

F15
実戦配備されている戦闘機では最強といわれている戦闘機、非常に高価なため、アメリカ以外には日本、イスラエル、サウジアラビアしか保有していない。

ブルーインパルス
航空自衛隊松島基地第4航空団に所属するアクロバットチーム「第11飛行隊」の通称。

フライトアテンダント
最近まで「スチュワーデス」(男性の場合には「スチュワード」「パーサー」など)と呼ばれていたが、1980年代以降、欧米における「ポリティカル・コレクトネス」(この場合は性表現のない単語への言い換え)の浸透により、性別を問わないフライトアテンダントという単語に言い換えられた。

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「グレイヴディッガー」高野和明

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
映画化された「13階段」の原作者である高野和明の新作と知って手に取った。
内容は、小さな悪事を積み重ねてきた八神(やがみ)がそんな自分に嫌気が差して、骨髄ドナーとなって他人の命を救おうとする。しかしいざ、骨髄移植を目前にして大量猟奇殺人事件が発生するというもの。
骨髄移植の提供者は2つの命に責任があるということを知った。つまりドナー登録まではいいとしても、移植を了承した瞬間に他の人の命の責任もあるということだ。また、物語の中の大量猟奇殺人事件がキリスト教の魔女狩り(※1)を模倣しており、その残酷さが、誤った道へ進んだ世の中の怖さと人間の奥にある残虐性を教えてくれる。過去の人間が犯した大きな過ちの一つに「魔女狩り」という事実があったといことは忘れてはならないということだ。
そして物語は今まで知らなかった警察組織についても触れている。

警視庁内には二つの指揮系統が存在する。警視総監が掌握する刑事警察と、警察庁警備局長を頂点とする警備・公安警察である。

骨髄移植のために八神が病院に来るのを待つ医師が八神と電話で話す言葉も印象的だった。

「悪そうな顔の人ってね、良心の葛藤があるから悪そうな顔になるのよ。良心のかけらもない本物の悪人は、普通の顔をしてるわ」

さらに物語の中で現在の世の中に対しても軽く疑問を投げかける。

「民主主義だって完全じゃない。多数決の原理っていうのは、四十九人の不幸の上に五十一人の幸福を築き上げるシステムなのさ」

僕のなかにいろいろな興味を喚起させてはくれたものの、ストーリー性には若干の物足りなさを覚えた。犯人の動機の弱さや、登場人物の中に尊敬できる人物もしくは応援したくなる人物がいないせいだろう。そもそもそれぞれの人物の描写が薄い感じがした。

※1 魔女狩り
キリスト教国家で中世から近世に行われた宗教に名を借りた魔女とされた人間に対する差別と火刑などによる虐殺のこと。犠牲者は200万人とも300万人とも言われている。
魔女狩りが猛威をふるったのは、16〜17世紀。これは宗教改革とほぼ重なり、カトリックとプロテスタントの対立が激化した時期であった魔女狩りの犠牲となったのは、一人暮らしの貧しい老婆が多かった。つまり、人々が不安にかられる中、弱者が「社会の敵」として犠牲になったと考えられる。

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「封印再度」森博嗣

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
犀川&萌絵シリーズの第五作。50年前、日本画家、香山風采(かやまふうさい)は息子の香山林水(かやまりんすい)に「無我の匣(はこ)」という鍵のかかった箱と、その箱を開けるための鍵が入っているとされる壺である「天地の瓢(こひょう)」を託して謎の死を遂げた。そんな不思議な話を聞きつけた西野園萌絵は例によって香山家へ訪れるが、そんな折、林水(りんすい)がまたしても謎の死を遂げる。そんな流れである。
壺の入り口より大きな鍵が入っているという不思議な物の存在だけですぐにでもストーリーの謎に引き込まれてしまう。毎度のことながら犀川創平(さいかわそうへい)のドライなものの考え方は非常に共感できる。そして、僕らの日々の生活の中では、おかしなことでも慣れていくうちにそれが常識になっていることが意外に多く存在することに気づかされた。

「親父がそういった。お前、電池がなくなったんだ、ってね。それで、すぐ中を開けて、見てみたんだ。そうしたら・・・電池はやっぱりちゃんとあるんだ、これが・・・」

そしてこの物語にあって他のこのシリーズにないのは、西野園萌絵(にしのそのもえ)が取り乱すシーンである。普段は知性的で猫舌以外につけいるすきのなさそうな彼女が犀川の前で取り乱す人間臭さがたまらなく可愛い。

「私だってよく人を待たせることありますけどね、でも、この私を待たせるなんて人は、先生だけなんですから・・・。ああっと、だめだめ、何言ってるのかしら・・・」

さらに今回は犀川と萌絵の仲も少し進展があってそれもまたうれしいことだ。

法隆寺金堂壁画
1949年、模写作業をしていた画家が消し忘れた電気座布団が原因で焼失したと言われている。

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「冷たい密室と博士たち」森博嗣

オススメ度 ★★★☆☆
犀川&萌絵シリーズの第二弾。どうやら僕は犀川創平(さいかわそうへい)と西野園萌絵(にしのそのもえ)のやり取りの虜になってしまったようだ。今回の事件は犀川と萌絵の目の前で起こった。低温度実験室の実験の見学に訪れた二人の前で2人の大学院生が死体となって発見されたのである。
今回の事件は理系ミステリ。いつでも物事を論理的に考えることを教えてくれる。僕らは世の中のいろんなものに目を奪われて本質を見ることを忘れている。犀川と萌絵の思考回路、そしてその言葉のやりとりは僕にそう思わせてくれるのである。
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「詩的私的ジャック」森博嗣

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
大学施設で女子大生が連続して殺害された。現場はいずれも密室状態で、死体にはアルファベットと見られる傷が残されていた。捜査線上に浮かんだのはロック歌手の結城稔(ゆうきみのる)であった。
このシリーズの魅力はなんといっても犀川創平(さいかわそうへい)と西野園萌絵(にしのそのもえ)という2人の常識をはずれた思考能力の持ち主が交わす会話である。その会話は僕自身にいろいろなものを気付かせる。今回も犀川(さいかわ)は言っていた。

みんな、不思議を見逃しているだけだよ。ブーメランがどうして戻ってくるのか、ヘリコプターがどうして前進するのか、工学部の学生だって誰も知らない。

好奇心は目の前を通り過ぎる物事の多さの前で忘れ去られ、不思議は常に存在することで不思議ではなくなる。そしてみんな、深く考えずに事実を受け止めることに慣れていくのだと思った。
今回も萌絵(もえ)の特殊な立場によって2人は捜査の中に介入していき、そして謎が解ける。人を殺さなければならない理由。人に惚れる理由。病的なまでの思い込みが良心を凌駕し、凶悪な事件を起こすさまを見せ付けられる。

あの人は、汚れたものが嫌いなんだ。純粋で、学問が好きで、高尚で、完璧な人だ。傷があったら、腕ごと切り落とすような人なんだ。

僕はこの言葉に共感した。きっと狂気は誰の中にもあるということだ。
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「ダイスをころがせ」真保裕一

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
駒井健一郎(こまいけんいちろう)34歳は職を失い、ハローワークで職を探していた。そんな折、高校時代の友人、天知達彦(あまちたつひこ)と出会った。達彦(たつひこ)は次の衆議院選挙に立候補するから手伝ってほしいと告げる。度重なる説得の末、健一郎は第二の人生を選挙戦へと注ぎ込むこととなる。
真保裕一は好きな作家とはいえ、堅苦しい政治の話だと思って、この本を手に取るまで時間がかかった。なぜなら、僕にとっては自民党にも民主党にも大した違いは見えないし、今の政治に満足しているわけでは決してないが、興味を注いで動向を見つめるほどでもないからだ。そんな僕には達彦(たつひこ)が健一郎(けんいちろう)を説得するために語った言葉は耳が痛い言葉ばかりだ。

この国がどうなったって、自分の暮らしさえ今と変わらなきゃいい。そんなことしか考えられない身勝手な連中に、今の政治家を笑う資格があるか

「投票に行け」とか、「政治を駄目にしているのは国民だ」などと頭ごなしに言われればつい反論したくなるが、この本を読み進めていくうちに「国民の政治への無関心さ」を良くないことだと素直に受け入れざるを得なくなる。
また、今まで見えなかった選挙というものの裏側がリアルに伝わってくるとともに。政治を腐敗させる原因が選挙制度の中にもあるということを教えてくれる。

政治家は、落選してしまえば、即収入の道を絶たれて仕事を失う。落選すればただの人、という恐怖心が、過剰な広報活動の出費を引き出していくのだ

しかし、達彦(たつひこ)はこう語る

政治っていうのは解決のために道を探るのではなく、道を示すものだ

達彦(たつひこ)が語った政治論は「理想」であり「現実」とは程遠い考え方なのかもしれない。そして理想だけでは政治家であり続けることができず、政治家でなくなればなにも実現できない。そんな葛藤が現実にはあるのだろう。しかし政治家には「理想」と「絶対に譲れない線」は持ち続けて欲しいと思った。
そして達彦(たつひこ)はこうも語る。

俺は思うんだよ。選挙は政治家の姿勢が試される時なんかじゃない。有権者である国民の姿勢が試される時なんだって、な

本当に耳が痛い・・
なにより僕を刺激してくれたのは健一郎とその仲間たちの仲間を支えようという想いである。情熱を注ぐものさえ見つければ、何歳になっても熱い感動を味わうことができるということだ。眠る時間も惜しんで情熱を注げるもの。そんなものをまた見つけたくなった。
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「玉蘭」桐野夏生

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
「新しい世界で何かを始めたい。新しく生まれ変わりたい」。そう決心して広野有子(ひろのゆうこ)は上海へ留学した。しかしそれでもそこで有子(ゆうこ)を待っていたのは日本の社会を凝縮したような留学生たちの姿である。そんなとき、有子(ゆうこ)の大伯父で、70年前に上海で失踪した質(ただし)の幽霊が現れる。それを機に有子(ゆうこ)は質(ただし)の遺した日記「トラブル」を紐解く。広野質(ひろのただし)の生きた70年前の上海、そして今、有子(ゆうこ)が生きる上海が、夢と現実の中で重なってくる。
物語のテーマはむしろ前半に濃密に描かれているように感じる。男性と違って、女性は地方出身者は大きなハンデを背負うことになる。と有子は分かれた恋人の行生(ゆきお)に宛てた手紙で訴える。

東京で生まれ、就職する女たち。化粧がうまくセンスもいい、私たち地方出身者は安いアパートに住み、貧乏な暮らしにも耐えなければならない。仕事なら負けないと自身はあったのに、彼女たちは私なんかよりはるかに優秀で、しかもリスクがないから物怖じしない。怖じないから、どんどん冒険して伸びていく。こうした不公平さに怒りを覚える。

つい僕の周囲の女性たちのことを考えてみた。残念ながらみんな親元でリスクもなく生活しながら、それなのに冒険らしきものをしていない人ばかりだ。そんな女性が、有子(ゆうこ)のような女性にとってはもっとも許せないのかもしれない。
一方、物語の後半はというと、恋人だろうと家族だろうと、人を理解することがどれだけ難しいかをを訴えてくる。
全体的には作者が読者に訴えたいことが物語の最初と最後で少しずれてきているように感じた。訴えたいことが複数あり、にもかかわらずそのうちどれにも焦点が合っていないという印象を受けた。
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「顔 FACE」横山秀夫

オススメ度 ★★★★☆
2003年4月にフジテレビ系で放送されていたドラマ「顔」の原作である。当時、ドラマを途中まで見ていたのだが、仕事が忙しくなって終盤は見ることが出来なかった。結末を知りたかったのと、心の描写を合わせて読みたかったのでこの本を手に取った。ちなみにドラマの中では主人公である平野瑞穂(ひらのみずほ)役を仲間由紀恵(なかまゆきえ)が演じていた。ドラマで共演していたオダギリジョーの西島耕輔(にしじまこうすけ)という役は残念ながら原作には登場していなかった。
物語は警察という縦社会、かつ男性社会の中で、犯人の似顔絵描くことを仕事のひとつとしている平野瑞穂(ひらのみずほ)を描く。女だからといって男性から差別されることに対する嫌悪と、女であるがゆえに男にはない「やさしさ」や「甘え」がときおり現れる。そんな瑞穂(みずほ)の人間くささがこの物語を面白くさせるのだろう。
いくつか心に深く残ったシーンを挙げてみる。
沖縄出身の新聞記者の大城冬実(おおしろふゆみ)が瑞穂(みずほ)に語るシーン。

「いないのよ。基地があった方がいいなんて、本気で思ってる人が沖縄にいるはずないでしょう。ウチの父だって──自分は死ぬまでここで基地と生きていくしかない。でも、お前は冬のある平凡な土地で生きていけ。そう言いたくて『冬美』って名前を付けたんだと思う。・・こんな話わからないよね。本土の人には」

僕は何も知らずに生きているのだと思った。
瑞穂(みずほ)と同僚の三浦真奈美(みうらまなみ)が瑞穂に語るシーン

「だって、人間ってそうじゃないですか。頑張ってる人を見て勇気をもらうとか言うけど、そんなの嘘で、ホントは頑張ってない人とか、頑張りたいのに頑張れない人とか見て、ああ、よかったって安心したり、ざまあみろって思ったり、そういうの励みに生きてるじゃないですか」

言葉にする人は少ないが、誰の心の中にもそういう部分はある、と思った。
そのほかにも瑞穂(みずほ)の絵を描くことに対する姿勢や、人を見る目は大いに刺激を与えてくれた。
物語の中では「男性社会」が根強く残っている警察を取り上げているが、一般の社会でも警察ほどではないにしろ「男性社会」は残っている。
この問題は当分解決しないのだろう。少なくともこの問題が解決するまでは男性が女性を守ってやるべきなのかな。(解決しても?)
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「鎖」乃南アサ

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
第115回直木賞受賞作品の「凍える牙」で活躍した音道貴子(おとみちたかこ)刑事が登場すると知って、この本を手に取った。
占い師夫婦とその信者2名の計4人が殺害された事件に関わったことによって、音道貴子(おとみちたかこ)自らも大きな犯罪に巻き込まれていく。
物語の冒頭で貴子(たかこ)が同僚の男を見て感じる言葉が印象的だ。

男という生き物は、いったいいつから少年でなくなるのだろう。少年どころか、青年の面影すら残さずに中年になっている男は、いつからすべてを捨てているのだろうか。

前半は貴子(たかこ)の過酷さの中でもポジティブに物を考える姿勢が好意的に移る。そして、後半は自分だけは助かりたいという弱い心と人を助けようという使命感。その二つを行き来する貴子の心の描写がに引き込まれる。
また、犯罪に走った犯人たちの心にも共感できる部分があり、それもまたこの物語を引き立ててくれて、単純な犯罪小説には終わらせない。特に、自身の不幸から犯罪に加担せざるを得なかった中田加恵子(なかたかえこ)の人生は、「同情」などという表現で片付くはずもない。そして、今の世の中、彼女のような人間が現実に存在しても決しておかしくないということを訴えかける。
貴子の友人がぼやく言葉が心に残る。

この世の中っていうのはただ息してくらしてるっていうだけで、金がかかるように出来ているのよ。やれ税金だ、保険料だ、年金に、受信料だなんたって。

松岡圭輔の書く岬美由紀(みさきみゆき)、内田康夫の書く(浅見光彦)。彼らと同じくらい音道貴子(おとみちたかこ)は芯のしっかり通った人間で、彼女の存在はこの「鎖」によって僕の中で一段と大きくなった。彼らが架空の人物だということは知っていてもである。
乃南アサにはもっと音道貴子(おとみちたかこ)シリーズを書いてほしい、そしてその後の彼女を知りたいと思った。

Nシステム
警察によって路上に設置された監視カメラ。正式名称は「赤外線自動車ナンバー自動読取装置」と言う。その数は、全国の公道上に600個所以上設置されており、類似したシステムである「オービス」が違反車両だけを撮影するのに対し、Nシステムは、通過した全車両、全ドライバーの移動を記録している。
参考サイト:http://www.npkai-ngo.com/N-Killer/01whats-nsys.html
ストックホルムシンドローム(ストックホルム症候群)
被害者が犯人に、必要以上の同情や連帯感、好意などをもってしまうこと。
1973年にストックホルムの銀行を強盗が襲い、1週間後事件が解決した後、人質の1人であった女性が、犯人グループの一人と結婚してしまったことから由来する。
参考サイト:http//www.angelfire.com/in/ptsdinfo/crime/crm3gsto.html
武蔵村山市
埼玉県との県境にある新興住宅地。鉄道も幹線道路も通っておらず、桐野夏生の「OUT」でも舞台になっている。

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「刹那に似てせつなく」唯川恵

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
人を殺して警察に追われる身となった並木響子(なみききょうこ)42才と、暴力団に追われる道田(みちだ)ユミ19才の二人は偶然の出会いから一緒に逃亡をすることになった。とそんな唯川恵らしくないストーリーが展開していく。
非日常的な2人の行動が普段の生活では感じない多くのことを考えさせてくれる。特に、ユミのひねくれながらも本質を見極めた物事の感じ方が印象的である。

言っておくけど、この国のやつらはみんな貧乏だよ。モノがいっぱいあるってことは何もないことと同じなの。シャネルもグッチもプラダもあるのに、そこら辺で売っている安物の財布を持てる?

また、登場人物の一人である弁護士の皆川久美子(みながわくみこ)が響子(きょうこ)に向けて言う言葉も心に残る

このまま引き下がってはますますそういう男をのさばらすばかりです。弁護士らしくない発言だと言われてしまいそうですが、判決だけが目的ではない戦いがあってもいいのではないかと思っています。

最後の「解説」のページで書評家が、「この本は『買い』だ」と書いている。激しく同意する。特に古本屋で250円で買った僕にとっては。250円では十分すぎるくらい僕の心に変化を与えてくれた。


蛇頭(じゃとう)
中国から日本や米国等の外国への密入国をビジネスとして行う密航請負組織のこと。欧米では「スネークヘッド」と呼ばれる。
じゃぱゆきさん
歌手・ダンサー等の資格を持って日本に入国し、実際にはクラブ・パブ等でホステスとして働いた(働かされた)経験を持つフィリピーナのこと
からゆきさん
明治、大正、昭和のはじめに貧しさのために東南アジアの娼館に売られていった女性たちのこと

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「海辺のカフカ」村上春樹

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
村上春樹の作品を読むのは「スプートニクの恋人」に続いて2作品目である。
主人公のカフカ少年はそれまでの自分の生き方に疑問を持ち家出をする、そして運命に導かれたかのように四国の図書館に辿り着く。とそんなストーリーである。
感想はというと、正直わからない。この本が世界中の多くの人から支持を受けていることももちろん知っている。それでも僕にはわからない。
現実と非現実の境界線、意識下と無意識下の境界線が曖昧すぎて、謎が謎のまま残される。もちろん意図的に謎を残して、真実は読者自身の考えに委ねているのだろうが、明確な意図をもってその謎を残しているのか疑問が残る。また、登場人物がみんな個性が薄いことも気になる。「個性が薄い」という言い方は少し違うかもしれない。個性はあるのだが現実感が乏しいのである。大島さんも佐伯さんも、カフカ少年も、ホシノさんも、ナカタさんもあまりにも非現実なキャラクターなため誰一人として感情移入できないのだ。
作者自身、ホシノさんも、ナカタさんなどのキャラクターについて、こんなキャラがいたら読者はいろいろ考えるだろう。読者にたくさんのことを考えさせることを目的に書かれたような作品のように思う。そして、僕はいろいろ考えさせられ、そして答えが出ないことに悩むのである「指はなぜ6本ある?」そう聞かれたら誰もが困るように、やはり僕もこの本を読み終わって困るのであった。おそらくすべてに説明、理論を求める僕自身に問題があるのだろう。僕がこの本をもう一度開きたくなったときには僕自身少し違った人間になっていることだろう・・
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「悪意」東野圭吾

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
楽な本を読みたい時に僕は東野圭吾の本を手に取る。今回もそうである。
物語は野々口修(ののぐちおさむ)と日高邦彦(ひだかくにひこ)という二人の作家の間に起きた殺人事件に対して、刑事の加賀恭一郎(かがきょういちろう)が少しづつ解明して行くという展開で進む。
作家を登場人物としているため、東野圭吾本人の実体験と思われるシーンが何度か物語中に含まれていて新鮮さを感じる。そして東野圭吾「らしさ」があらゆるところにちりばめられている。そもそも僕はこの本を単純な推理小説だと思って手にとったのだ。読み終わったら一息ついて、次の本を読みはじめられると思っていた。でもこの本は僕の目の前に突き付けて来た。今まで見えていて見ないようにしていた現実。裏表のない「善意」に対して、強烈な「悪意」が芽生えることも時にはあるということを。
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「血と骨」梁石日

オススメ度 ★★☆☆☆ 2/5
第11回山本周五郎賞受賞作品。
昭和初期から中期にかけて、在日朝鮮人である金俊平という蒲鉾職人の生き方を描く。
金俊平のように自分以外の人を信じないという生き方は戦時中の騒乱の時代の中では多かったのかもしれない。ストーリーのおもしろさという面ではあまり薦めないが、昭和の歴史を当時の雰囲気を味わいたい方は読んでみるのもいいかもしれない。
お金がなければ見向きもされない。女は体を売っていきるしかない。病気になれば「早く死んでほしい」と思われる。僕の生まれるほんの20数年前までの昭和という時代はそんな時代だったのだ。
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「スプートニクの恋人」村上春樹

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
食わず嫌いで、遅ればせながらようやく村上春樹デビューとなった。
主人公の「僕」が恋する女性のすみれは、年上の女性ミュウと恋に落ちることになった。ミュウは自分のことを「14年前のある出来事から自分を失った」と言う女性。「僕」とすみれとミュウという少し普通の人と違った3人が不思議に絡み合う。
3人それぞれに少しずつ理解できる部分がある。この物語の中では少し「変わった人」感を大きく表現されているが、彼等のような人は実際には世の中にたくさんいるのかもしれない。3人の中で僕は特にミュウの生き方、考え方に共感を覚える。そんなシーンを描いた箇所をいくつか挙げてみる。
「ぼく」がミュウと出会った時の印象。

ぼくがミュウにについていちばん好意を持ったのは彼女が自分の年齢を隠そうとしていないところだった。すみれの話によれば彼女は38か39だったはずだ。そして実際に38か39に見えた。ミュウは年齢が自然に浮かび上がらせるものをそのとおり受け入れ、そこに自分をうまく同化させているように見えた。

ミュウが過去を語ったときの一言

自分が強いことに慣れすぎていて、弱い人々について理解しようとしなかった。幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。いろんなことがうまくいかなくて困ったり、たちすくんでいたりする人たちを見ると、それは本人の努力が足りないだけだと考えた。不平をよく口にする人たちを、基本的には怠けものだと考えた。

登場する3人のような、普通の人とは違う考え方を持った人間は、自分を理解してもらえる人に出会えるか否かが非常に重要であるということを物語の中で訴えてくる。そしてその裏で、現実の世界」と、「気持ちや本能が求める世界」との接点のようなものをテーマにしているように感じる。
作者の言いたいことがなんとなく伝わっては来るが、正直僕には難しすぎる。10人が読んだら10通りの解釈の仕方があるようだ。全体的に「結局どうなの?」という疑問が残り、「後味が悪い」とまでは言わないが、不思議な余韻を残してくれた。
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「流星ワゴン」重松清

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
永田カズオ38才、妻ともうまくいかず、受験の失敗によって荒れた息子の家庭内暴力が日に日に増す中、ふと考えた。

死んじゃってもいいかなあ、もう

そこに一台のワゴンがやってきて、窓から顔を出した男の子が言った。「早く乗ってよ。ずっと待ってたんだから。」そして、そのワゴンはカズオを不思議な世界に連れて行った。
子供の頃、父親は大きく、そして言うことは常に正しい。そんな存在だった。もちろん怒られたこともある。今思うと時々理不尽な怒られ方をしていたようにも思う。それでも、あの頃の僕には度胸も気持ちを表現する言葉も足りなくて、自分の思いをぶつけることができなかったが、たくさんの言葉を身に付けた今ではいろいろ言い返せるかも知れない。もう一度あの瞬間に戻って自分の気持ちをぶつけてやりたい。そんな考えを持ったことがある人って意外と多いのではないだろうか。でもそれは決して実現することはない。
この本の中ではそんな実現することのない状況を見せてくれる。ワゴンでいろんな場所に連れて行ってもらったカズオは自分と同じ38歳の父親と会う。彼はそこでいろんな思いをぶつける。息子の素直な思いをぶつけられて戸惑う父親。そして、父親になって息子との接し方に戸惑っているカズオ。そんな二つの親子の関係を対比して子供の思いや父親の思いを伝えてくる。これから父親になるひとや子育てに悩む人にはなにか手がかりになるのかもしれない。
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「オルファクトグラム」井上夢人

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
主人公の稔(みのる)は姉の家を訪問した際に姉の知佳子(ちかこ)は殺され、稔(みのる)に頭をバットで殴られ、1ヶ月の意識不明の状態に陥った。奇跡的に意識を取り戻すと、常人の数億倍の嗅覚を身に付けていた。稔(みのる)はその嗅覚を利用して知佳子を殺した犯人を見つけようとする。
犯人探しというよくある物語の中に嗅覚という不思議な題材を絡めてあり、そのことで人間の五感について考えさせてくる。
人は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚という五感を備えながら、人の世界の大部分は視覚によって構成されている。例えば、嗅覚を失っても人は日常生活を普通にすることができるが、視覚を失ったとたんに1人では生活できなくなる。人の五感の利用率の中は、視覚だけで8割を占めているのである。僕ら人間にとってはそれが当然でも、生き物全体から見ればここまで視覚を重視している生き物は特殊である。例えば犬などはモノクロの視覚しか備えていないにもかかわらず人間の何倍もの嗅覚を備えているためそれを補うことができる。犬の五感の利用率は嗅覚が4割、聴覚3割、視覚2割と言われている。そのことで、犬は飼い主の機嫌の良し悪しも匂いから判断することができるのだ。また蟻などの昆虫も匂いを有効なコミュニケーションの手段として利用している。僕ら人間は視覚という一つの能力を重視して嗅覚を放棄してきたた。それによって不便なこともあるはずだ。例えば相手の気分など、嗅覚を利用すればわかりやすいことに対して、視覚しか手段のない人間は相手の顔の表情から読み取るという非常に非効率的な方法をとるのである。
最初はその奇抜な発想だけに頼った物語のような感じがしたが、読み進めて行くウチにそのテーマに引き込まれていった。
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「魔術はささやく」宮部みゆき

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
日本推理サスペンス大賞受賞作品。宮部みゆきの名作である。もう5年も前に一度読んだのだが、なぜかもう一度読み直してみたくなった。
主人公の守(まもる)は父親は横領の罪をかぶったまま失踪し、母親が早くに亡くなったことで、母親の姉の家庭で育てられた。そんな中、彼の周囲には妙な事件がおき始めた。3人の女性が立て続けに死亡したのである。そんななぞめいた事件の一つにかかわったことから守の周囲は動き始める。
周囲の目や障害にも負けない守(まもる)の強さや正義感に共感を覚える。そして読み進めていくうちに守の強さは周囲の人に支えられて形成されたものであることも伝わってくる。
守ると親しい近所のおじいちゃんは守(まもる)にこう言った。

「おまえのおやじさんは悪い人ではなかった。ただ、弱かったんだ。悲しいくらいに弱かった。その弱さは誰の中にもある、おまえの中にもある。そしておまえがその自分の中にあるその弱さに気がついたとき、ああ、親父と同じだとおもうだろう。ひょっとしたら親が親なんだから仕方がないと思うこともあるかもしれない。じいちゃんが怖いのはそれだ」

守(まもる)の通う学校の先生は守(まもる)にこう言った

「俺は遺伝は信じない主義だ。蛙の子がみんな蛙になってたら、周りじゅう蛙だらけでうるさくてらかなわん。ただ世間には、目の悪いやつらがごまんといる。象のしっぽをさわって蛇だと騒いだり、牛の角をつかんでサイだと信じていたりする。」

周囲の流れは風当たりがどんなに強くても、気持ちの持ちようで道は開けるということを教えてくれるのと同時に、その風当たりに負けてしまう人がいるのも仕方がなく、そんな弱い人を責めてはいけないのだとも教えてくれる。
さらに物語の中で「あんなやつは殺されて当然だ」という台詞が出てくる。実際に憎らしい人が死ぬことはめったにないにしても、「あんなやつは死んだほうがいい」という強烈な殺意を抱いたことぐらい、誰でも一度か二度はあるのだろう。しかし、僕らそうやって殺意を覚えることはあってもはそんなに簡単に人を殺したりしない。なぜなら、そこにはリスクが伴うからだ。リスクとは信用や社会的地位の失墜である。では、リスクを負わないだけの力を得たら人を殺したりするだろうか・・・。考えてみた。殺したりするかもしれない。ほんの少しの労力で、僕がやったとわからないのなら、僕が責任を問われることがないという確信があるのなら殺したかもしれない。きっと多くの人がそうなのだろう、人は力を得ると自分で裁きたがるのだ。「これが正義だ!」「悪いやつはこの世からいなくなれ!」と。としかし人には感情があり、感情がある以上、人を冷静に裁くなどできるはずがないのである。
これがこの本が読者に訴えてきた一番大きなテーマなのだ。僕はそう受け取った。ちなみにこの「力を得たことによって、自らの手で人を裁く」というテーマを中心に据えたのがその後の宮部作品「クロスファイア」なのだと2回目にして感じた。
守(まもる)が父親の最後の行動を知って一人つぶやくシーンは涙を誘う。
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「人質カノン」宮部みゆき

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
7つの物語で構成された短編集である。「八月の雪」という3つめの物語が印象的である。交通事故で右足を失った充(みつる)は家の中でおじいちゃんの遺書らしきものを見つける。これは一体なんなんだろう?そう思っておじいちゃんのことを調べてみようとする。
この世界に生きている人には例外なく、一冊の本にはおさまり切れないぐらいの物語があるということを再認識させてくれる。もちろん僕のおじいちゃんもおばあちゃんも、そして道ですれ違っただけの人生で一度しか会わないような人も、電車の中で隣にたまたまに乗り合わせた人も、例外などあるわけがない。どんな人にも敬意を払わなければならない。考えてみれば当たり前のことだ。
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「終戦のローレライ」福井晴敏

オススメ度 ★★★★★ 5/5
第24回吉川英治文学新人賞受賞作品。
昭和20年。第二次世界大戦末期、すでに誰の目にも日本の敗戦は濃厚になりつつある時代、五島列島沖に沈む特殊兵器・ローレライを回収するための作戦が秘密裏に進められていた。17歳の上等工作兵、折笠征人(おりかさゆきと)、清永喜久雄(きよながきくお)、そして海軍潜水学校で教師を勤める絹見真一(まさみしんいち)もその作戦のために集められた一人であった。
戦争という抗いようのない大きな流れ。60年もの月日がたった現在ではその時代の生の声を聞くこともできず時代の一部分という認識しか持たない僕に、その大きな流れに巻き込まれた人たちの悲しみ、想像を絶する苦しみをリアルなまでに伝えてくれる。勝敗に関わらず戦争から生まれるのは悲しみや苦しみばかりだということを。
いくつか印象に残っているシーンをあげてみる。
アメリカ合衆国海軍で初の実戦配置に抜擢されたアディの最期は突然訪れた。

「魚雷衝突まで六十・・五十・・」
チーフはアディと視線を絡ませたのもつかの間、瞼を閉じた。「ジュリア・・・」という小さな囁きその唇から漏れた。アディはそれを聞いた途端。これで死ぬらしいと理解した。唐突に訪れた死の瞬間に呆然となり、慌ててガールフレンドの顔の一つも思い出そうとした。しかし、こういうときに名前を呼ぶに相応しい女性の顔は見つけられなかった。そんな相手を見つけるには短すぎる人生だった。まだやり残したことがたくさんある・・・

人によっては自分が死ぬことに気付かないまま最後を迎えることもある。主人公の征人(ゆきと)は自分と同じように敵の戦闘機の機銃を避けていた男の最期の瞬間を見た。

両手で耳を塞ぎ、甲板に顔を押しつけたその男は、後頭部に弾丸が刺さってもぴくりとも動かなかった。顔の下から流れ出した血を甲板に広げ、生きていた時とそっくり同じ姿勢で死んだ。あれでは自分が死んだということもわからなかったのではないか?特攻という自発行為の結果で死ぬならまだしも、こんなのは絶えられない。

また、日本海軍の最前線で無人島に流れ着き、生きるためには死んだ人間の肉を食べるしかなかった。そんな地獄の中を彷徨っていた彼等はある真理と直面した。

肉が喰える以上誰も死なない。そして誰も死ななければ肉は喰えなくなる−−

そんな戦争という舞台のうえで展開される、命の重さや人と人との信頼関係、信念が僕の心に大きく響いてくる。こんな生き方をしたい、こんな強い心を持ちたい。こんな行動ができる人でありたい。そう思わせてくれる登場人物ばかりだ。
主人公の征人(ゆきと)は同じ潜水艦に乗り込んでいる田口(たぐち)に見つめられてこう思った。

そう、この目だ。殺気を常態にした瞳の底に、やさしい光を蓄えた瞳。怒鳴りつける一方、部下の顔色を目敏く察し、ひとりひとりに気を配るのを忘れない目。おれに見えていたのはそういう目だ。反発しながら学ばされ、嫌いながら近づこうとしていた、一人前と言う言葉の先にある目。男として手本にできると信じた目だ。

ドイツで特殊訓練を受けて育ったフリッツは征人(ゆきと)の思ったことをすぐに口にする性格を見て思った。

あいつの強さの本質は、立場の優劣で人を隔てないところだ。誰をも理解しようと努め、傷ついても向かってくる愚直さだ。あいつの無責任なまでのやさしさは傷つくことを恐れない強さに裏打ちされたものだ。

大平洋戦争。大東亜共栄圏の建国というスローガンで正当化して植民地を広げて行こうとした日本。あの時代のことを考えると多くの人はこう思うのだろう。昔の日本人は愚かだった、と。自分達を客観的に見ることができずに、周辺国の国民の苦しみを考えずに、「自分達日本人は特別な存在なのだ。」という根拠もない理由によって突っ走っていたのだ、と。そうやって現代では大平洋戦争時代の日本人の生き方を否定して多くの人が生きているし、戦後の日本の教育の中でもそんな教えられ方をしている。
では、日本人が太平洋戦争までに積み上げて来た物はどこにいってしまったのだろうか。確かに大平洋戦争において日本人がしたことは非常に罪なことで簡単に許されることではない。しかし、あの時代には「カミカゼ精神」やら「玉砕」やら今聞くと冷めてしまうような言葉を掲げて戦争に向かっていった東洋の小さな国の国民は、周辺国とっては確かに驚異であり、「日本人」というブランドが存在していたのも事実である。しかし戦後60年を迎えた今、日本を見つめてみると、情報や文化や技術を取り込むことに焦り過ぎた結果、その中で生きているのは国民性の薄れた空っぽな人間たちである。そして、その「国民性の薄れた空っぽな存在」に「かっこいい」という感覚を覚えているのだから少し悲しくもある。
あの第二次世界大戦の時代に比べて明らかに自分が日本人であることに対する誇りが薄れているのだはないか、と今までにない気持ちを僕の中に喚起させてくれた。
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「塩狩峠」三浦綾子

オススメ度 ★★☆☆☆ 2/5
新潮文庫WEB読者アンケート第4位。この言葉に惹かれて購入した。
一人の人間が、キリスト教に惹かれ、そしてその教えにしたがって自らの命を投げ出して多くの人を救う。そんな実際にあった話をもとに作られた物語。
明治初期を舞台にしていること。キリスト教の教えが多く主人公の周囲に取り入れられること、そして、自分の性格とあまりに懸け離れた人物像によってなかなか素直に物語を受け入れずらい。それでもこの本を読む前と後では生き方が少なくからず変わるかもしれない。
こんなふうにひたすら自分以外を思いやって生きれるなら、それもまた素敵な生き方なのかもしれない。しかし僕は「人生は一度きり」という考えの持ち主。したがって、やっぱり人生は自分のために生きることにする。
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