オススメ度 ★★★★★ 5/5
第24回吉川英治文学新人賞受賞作品。
昭和20年。第二次世界大戦末期、すでに誰の目にも日本の敗戦は濃厚になりつつある時代、五島列島沖に沈む特殊兵器・ローレライを回収するための作戦が秘密裏に進められていた。17歳の上等工作兵、折笠征人(おりかさゆきと)、清永喜久雄(きよながきくお)、そして海軍潜水学校で教師を勤める絹見真一(まさみしんいち)もその作戦のために集められた一人であった。
戦争という抗いようのない大きな流れ。60年もの月日がたった現在ではその時代の生の声を聞くこともできず時代の一部分という認識しか持たない僕に、その大きな流れに巻き込まれた人たちの悲しみ、想像を絶する苦しみをリアルなまでに伝えてくれる。勝敗に関わらず戦争から生まれるのは悲しみや苦しみばかりだということを。
いくつか印象に残っているシーンをあげてみる。
アメリカ合衆国海軍で初の実戦配置に抜擢されたアディの最期は突然訪れた。
人によっては自分が死ぬことに気付かないまま最後を迎えることもある。主人公の征人(ゆきと)は自分と同じように敵の戦闘機の機銃を避けていた男の最期の瞬間を見た。
また、日本海軍の最前線で無人島に流れ着き、生きるためには死んだ人間の肉を食べるしかなかった。そんな地獄の中を彷徨っていた彼等はある真理と直面した。
そんな戦争という舞台のうえで展開される、命の重さや人と人との信頼関係、信念が僕の心に大きく響いてくる。こんな生き方をしたい、こんな強い心を持ちたい。こんな行動ができる人でありたい。そう思わせてくれる登場人物ばかりだ。
主人公の征人(ゆきと)は同じ潜水艦に乗り込んでいる田口(たぐち)に見つめられてこう思った。
ドイツで特殊訓練を受けて育ったフリッツは征人(ゆきと)の思ったことをすぐに口にする性格を見て思った。
大平洋戦争。大東亜共栄圏の建国というスローガンで正当化して植民地を広げて行こうとした日本。あの時代のことを考えると多くの人はこう思うのだろう。昔の日本人は愚かだった、と。自分達を客観的に見ることができずに、周辺国の国民の苦しみを考えずに、「自分達日本人は特別な存在なのだ。」という根拠もない理由によって突っ走っていたのだ、と。そうやって現代では大平洋戦争時代の日本人の生き方を否定して多くの人が生きているし、戦後の日本の教育の中でもそんな教えられ方をしている。
では、日本人が太平洋戦争までに積み上げて来た物はどこにいってしまったのだろうか。確かに大平洋戦争において日本人がしたことは非常に罪なことで簡単に許されることではない。しかし、あの時代には「カミカゼ精神」やら「玉砕」やら今聞くと冷めてしまうような言葉を掲げて戦争に向かっていった東洋の小さな国の国民は、周辺国とっては確かに驚異であり、「日本人」というブランドが存在していたのも事実である。しかし戦後60年を迎えた今、日本を見つめてみると、情報や文化や技術を取り込むことに焦り過ぎた結果、その中で生きているのは国民性の薄れた空っぽな人間たちである。そして、その「国民性の薄れた空っぽな存在」に「かっこいい」という感覚を覚えているのだから少し悲しくもある。
あの第二次世界大戦の時代に比べて明らかに自分が日本人であることに対する誇りが薄れているのだはないか、と今までにない気持ちを僕の中に喚起させてくれた。
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