「The Girl who Played with Fire」Stieg Larsson

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
Lisbeth SalanderはBlomkvistと距離を置くことを決めて海外に旅に出る。一方Blomkvistは、新たな2人のパートナーと共にスウェーデンの裏に広がる性売買の実態を暴こうと動き出す。
Stieg Larsson三部作の第二作である。前半は前作「The Girl Who has The Dragon Tatoo」の後のSalander、Blomkvistとその周辺の様子が描かれて、ややスピード感に懸ける部分があるが、3つの殺人事件を機に、Salanderが追われる身となって、物語は一気に加速する。
面白いのは、事件を巡って3つの方向から真相を究明しようとする動きがあることだろう。一つは警察であり、残りの2つは、Salanderの無実を信じる、Blomkvistと、Salanderの職場である、警備会社である。
一見ただの殺人事件に見えていたものが、次第にSalanderの過去と深く関わっていることが明らかになってくる。「All The Evil」と呼ばれた日、Salanderに何が起こったのか、すべての公式な記録から抹消されたその出来事。その結末はまたしても想像を超えてくれた。
また、凶暴な売春婦と一般的に忌み嫌われているSalanderを、わずかであるが信頼している数人の人間がいて、彼らが必死になってその無実を証明しようとする姿がなんとも温かい。特に、彼女の保護者であり理解者であったPalmgrenとチェスをするシーンなどでは、彼女の中の優しさのようなものも感じさせてくれる。
物語としては文句なし。個人的にはもう少しスウェーデン語やスウェーデンの地名を知っておいたほうが楽しめるだろう、と思った。

Presbyterianism
キリスト教プロテスタント教会の中で、カルビン派を崇拝する派のこと。
GRU
ロシア連邦軍における情報機関。参謀本部情報総局を略してGRUと呼ばれる。旧ソ連時代から存続している組織である。(Wikipedia「ロシア連邦軍参謀本部情報総局」
Minsk
ベラルーシ共和国の首都。
アスペルガー症候群
興味・関心やコミュニケーションについて特異であるものの、知的障害がみられない発達障害のことである。「知的障害がない自閉症」として扱われることも多いが、公的な文書においては、自閉症とは区分して取り扱われていることが多い。(Wikipedia「アスペルガー症候群」

「武士道シックスティーン」誉田哲也

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
幼い頃から剣道で強くなるためだけを目標に生きてきた香織(かおり)と、日本舞踊から剣道の道に入った勝ち負けにこだわらない早苗は高校で同じ剣道部に所属することとなる。

基本的に物語は、香織(かおり)と早苗(さなえ)という、同じ剣道部に所属しながらもまったく正反対の取り組み方をする二人の目線で交互に展開していく。最初はやはり香織(かおり)の異様なまでの勝負へのこだわり方が面白いだろう。そして、その剣道に対する姿勢は当然のように他の部員や顧問の先生との摩擦を生む。

「お前には、負ける者の気持ちが、分かるか」 
「・・・・・・わかりますよ。人並みになら」
「どう分かる。どう思った。負けたとき。」
「・・・・・・次は斬る。ただそれだけです。」

一方で早苗(さなえ)は勝ち負けよりも、自分の剣道を少しでもいいものにしようと心がける。序盤はそんな張り詰めた香織(かおり)目線と、のほほんとした早苗(さなえ)目線がなんともリズミカルに進んでいく。

次第に今までの自分の剣道への取り組み方に疑問を抱き始める香織(かおり)。そして早苗(さなえ)もまた香織(かおり)に影響されていろんなことを考えるようになる。
違ったタイプの人間が出会ってお互い刺激を受け合い、少しずつ人間として成長していく。

そんなありがちの物語なのだが、それでも自信を持ってお勧めできるのは、誉田哲也らしい独特の会話のテンポと、登場人物それぞれが持っているしっかりした個性のせいだろうか。香織(かおり)には優しい兄と厳しい父が、早苗(さなえ)には、情けない父と自分勝手な姉が、それぞれ物語にとってもいい味を出しており、香織(かおり)、早苗(さなえ)の生きかたにも大きく影響を与えていることがわかる。

すがすがしい読み心地の青春小説。新しい何かを始めたくなる4月。こんな時期に読むのにまさにぴったりの作品。といってもいまさら剣道はさすがに始められないが。
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「Child44」Tom Rob Smith

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
2009年このミステリーがすごい!第1位。
時代は1953年のソビエト。大戦の英雄でありMGB(国家保安省)のLeoは内部の諍いから、妻と友にモスクワから遠い東の地に送られる。そこでLeoは子供を狙った連続殺人事件に出会う。
本作品から面白い部分を挙げればいくらでもあるが、まずは、戦後の混乱のソビエトの社会であろう。未完成な社会ゆえに、未完成な正義が幅を利かせている。KGBがその間違った正義であり、彼らに嫌われたらどんなに誠実な人間さえも容疑者にされる。そして人々は自らが密告されることを恐れるがあまり、ひたすら目立つことを恐れて生きていくのである。このような魔女狩りのような世界がわずか数十年前に隣国で存在していたことに驚いた。
さて、本作品では、そんな権力の象徴的存在であるMGBであるLeoが、その権力を失っていく。そして権力を失ったことによって正直な意見を妻のRaisaから聞かされ、そこから見えてくる真実がさらにLeoを苦しめるのである。Leoの妻、Raisaが語った言葉などはまさにどんな社会にも通じる真実を表現しているだろう。権力を持った人の周囲では人は正直ではいられないのである。

私があなたと結婚したのは怖かったから。もし拒絶したらいつか私も逮捕されるって思って、嫌々了解したのよ。つまり私たちの関係は恐怖の上に成り立っていたの…。もしこれからも一緒に過ごすのなら、今から本当のことを話すようにするわ。気持ちのいい嘘じゃなくて。

やがてLeoとRaisaは協力して連続殺人事件を解決しようとする。そんな協力関係の中で少しずつ変化していく二人の関係が大きな見所の一つである。そして、連続殺人事件の謎。何故、事件はいつも線路の近くで起きているのか、何故子供ばかりが狙われるのか。何が犯人を残酷な殺人へと突き動かすのか。
揺れ動く登場人物の心の動き、作品中から教えられる悲劇の歴史、物語展開も最後まで予想を巧に裏切ってくれた。この完成度は誰にでもオススメできる。

ウラジーミル・レーニン
ロシア出身の革命家、政治家、法律家。優れた演説家として帝政ロシア内の革命勢力を纏め上げ、世界で最初に成功した社会主義革命であるロシア革命の成立に主導的な役割を果たし、ソビエト社会主義共和国連邦及びソビエト連邦共産党(ボリシェヴィキ)の初代指導者に就任、世界史上に多大な影響を残した。(Wikipedia「ウラジーミル・レーニン」
チェーカー
レーニンによりロシア革命直後の1917年12月20日に人民委員会議直属の機関として設立された秘密警察組織の通称である。(Wikipedia「チェーカー」
フェリックス・ジェルジンスキー
ポーランドの貴族階級出身の革命家で、後にソ連邦の政治家に転じた。革命直後の混乱期において誕生間もない秘密警察を指揮し、その冷厳な行動から「鉄人」「労働者の騎士」「革命の剣」など数多くの異名で呼ばれた。(Wikipedia「フェリックス・ジェルジンスキー」

「日本人の英語」マーク・ピーターセン

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
日本人が間違えがちな単語の使い方を分かりやすく解説している。
冠詞の「a」と「the」と「my」の使い方や、副詞(off、out、over、around)などのニュアンスの説明はどれも目からうろこである。
中でも印象的だったのが「over」と「around」の違いである。本書ではこういっている、「over」も「around」も回転を表す副詞だが「over」はその回転軸が水平で「around」はその回転軸が垂直だというのである。
なるほど、だから人が「turn around」したらスピンだし、「turn over」なら「寝返りを打つ」なのか、「get over」なら「乗り越える」だし「get around」なら「回避する」なのだ。
副詞と組み合わさった慣用句をすべて日本語の意味とつなげようとするのではなく、副詞の意味を直感的に理解して全体をイメージするほうがずっと早いに違いない。
同じように「車に乗る」は「get in the car」なのに「電車に乗る」は「get on the train」。こんな違いの理由についても解説している。
「この一冊を読めばもう完璧」などということは決してないが、今までの理解度を50%増しぐらいにはしてくれるだろう。
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「ブラックペアン1988」海堂尊

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
1988年。世良正志(せらまさし)は研修医として東城大学医学部付属病院で外科としての第一歩を踏み出す。そこで初めて見る現実や、常識はずれな医師たちに出会う。

海堂尊作品ということで、過去の経験から、他の海堂作品と繋がっているのだろうと思いながら読み進めていたがなかなかつながらない。何人かの登場人物の名に聞き覚えを感じながらもなかなか繋がらない。そう思いながら上巻の中盤に差し掛かったところで、研修医として、田口、速水、島津という3人が登場。どうやら「チームバチスタの栄光」の数年前を描いたものらしい。そこでようやくタイトルの1988の意味に気付くに至った。

つまり生意気で破天荒な振る舞いをする医師高階(たかしな)は将来、「チームバチスタの栄光」で東城する病院長ということになるのだ。世良を驚かせた医師は高階(たかしな)だけでなく、昇進を拒みながらも技術の向上にこだわる渡海(とかい)もまたその一人である。

物語前半は対照的な考え方をする高階(たかしな)と渡海(とかい)のやりとりが面白い。

どんなに綺麗ごとを言っても、技術が伴わない医療は質が低い医療だ。いくら心を磨いても、患者は治せない。
心無き医療では高みには辿りつけません。患者を治すのは医師の技術ではない。患者自身が自分の身体を治していくんだ。医者はそのお手伝いをするだけ。手術手技を磨き上げるのも大切だが、患者自身の回復力を高めてやることも同じくらい重要なことだ。<

そして、その2人の間に挟まれながらもいい刺激を受けて成長していく世良(せら)が前半の見所といえるだろう。

一見いがみ合っているように見えながらもこんな個性的な医師たちが、最終的に見事な化学反応を起こし病院という巨大組織を機能させていくところが面白い。「ジェネラル・ルージュの凱旋」でも感じたことだが、お互いの力を認め合うこんなシーンを見ると、かっこよさよりもそんな環境で仕事ができることに対する嫉妬を覚えてしまう。

そして終盤は、教授である佐伯(さえき)に焦点があてられる。物語序盤は医療の脚を引っ張る癌細胞のような存在に見えていた佐伯(さえき)も、その本音を知ればかっこよく見えてくることだろう。

私が病院長を目指す理由は、てっぺんに近づけば近づくほど自由度が上がるからだ。自由度が上がれば、自分より能力が低い連中にとやかく指図されなくなる。

そして最期は佐伯(さえき)が執刀するときのみに使用するという黒いペアン(医療器具)の存在理由が明らかになる。

かっこよく、すがすがしく、そして医療の在り方、医師の在り方について考えさせてくれる作品である。

ウィルヒョウ
ドイツ人の医師、病理学者、先史学者、生物学者、政治家。白血病の発見者として知られる。(Wikipedia「ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー」

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「日本人の英語力」マーシャ・クラッカワー

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
近年、インターネットの普及によって生の英語に触れられる機会が増えてきて、それは、英語を学習する人にとっては決して悪い環境ではないのだが、多くの人がアメリカ人を含むネイティブスピーカーのしゃべり方を疑いも持たずに真似してしまうことを懸念しているのである。
日本の若者たちが使う「…みたいな」「…な感じ」のように、アメリカでも「kind of」「sort of」「like」などのあいまい表現が浸透してきていて、実際に多くのアメリカ人がそのような話し方をするのだが、それを「正しい英語」と信じている日本人の英語学習者が多く見られるのだとか。英語のあいまい表現は日本語のあいまい表現と同じように、決して知的には聞こえず、どちらかというとはっきりとした信念や考えを持っていない、自分の考えに自信を持たないように聞こえ、ビジネスの場だけでなくプライベートな場でさえも高く評価されないだろう、というのだ。
また、「let me know」「I mean」「you know」などのような、隙間を埋める言葉を多用するのもそのような人の悪い傾向だという。考える必要があるならば、その旨を相手に伝えてしっかり時間をおいてから意見を言うべきだと。
僕たちは日本人なのだから、日本人の美学があり、ぼくらが話すべき英語のスタイルがあるはず。英語を話すからと言って、美学や文化までアメリカになる必要はないということだ。
考えてみれば僕自身も、たとえ日本語でも決して多くを語る方ではなく、「しっかりと考えたうえで言葉を発する」という生き方をしてきたはず。英語を話している最中とてそれは変わらないはず。

「Run!Run!Run!」桂望実

オススメ度 ★★★★☆ 4/5
岡崎優(おかざきゆう)の夢はオリンピックマラソンで金メダルを獲ること。幼いころから毎日のジョギングを欠かさなかった。彼にとっては箱根駅伝も通過点にすぎない。大学の陸上部へ入部したあとも優(ゆう)の考え方は変わらなかった…。

よくある青春小説だと思って手に取った。何人かの平凡な集まりの平凡な部が、誰かの登場によって少しずつ意識改革を伴いながら遠かった目標に近づいていく…。そんな物語を想像していたので、優(ゆう)の自分を特別視し、他人を蔑む態度はずいぶん新鮮に映った。

仲間と慰め合うのは勝手だけど、そういうのに僕を巻き込まないでくれる?

僕自身も努力とか根性という根拠のないものよりも、科学や理論的な考え方で向上に努める人間だから、彼のそんな自己本位な考え方や歯に絹着せぬ物言いも、どこか共感できてしまう部分があるのであった。それでも優(ゆう)は「自分は特別な人間だから特別扱いされるのが当然」ということまで公言してしまうから、次第に部の中でも孤立していく。

いろんな物語を読みなれている読者なら、ああ、これから彼はどこかで妥協し、仲間の大切さに気づいていくのだろう。と予想するのだろう。しかしなかなかそうならず、さらにいうなら、彼の自信も日々の積み重ねによるものである点が使い古されたスポ魂物語と違う点かもしれない。

また、物語の舞台となっている大学の部活のパソコンなどの技術を駆使し、練習中の血液検査から適度な練習量を測る科学的な取り組み方にも大いに刺激を受けた。
僕自身もうある程度成熟して、人間関係の大切さもわかったつもりでいるが、優(ゆう)のようにわき目も振らずひとつことに一直線に向かう生き方に読みながら、憧れを抱いてしまった。それができるのは、その間に生じる数々の障害を乗り越えられる強い気持ちを持ったものだけなのだろう。

そして物語はそんな優と陸上部の部員たちとのやりとりだけでなく、優(ゆう)の母や父、兄との関係にも及んでいく。

結構、読み始める前の印象以上に心に深い作品であった。

ほかの価値観を知らないから、自分の価値観をたった一つの正解だと思ってしまう。普通は友人や先輩や、そういった自分と違う考え方をもった人と接していくうちに、自分が絶対じゃないってことを学んでいくものなんだ。
CPK(クレアチンホスホキナーゼ)
動物が持つ酵素で、筋肉の収縮の際にエネルギー代謝に関与している。

【楽天ブックス】「Run!Run!Run!」

「1985年の奇跡」五十嵐貴久

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
高校の弱小野球部にすごいピッチャー沢渡(さわたり)がやってきた。勝利の味と悔しさを知った野球ことで部員達とその周囲に少しずつ変化が起こり始める。
舞台となっているのは1985年である。「キャプテン翼」によってサッカーの人気が出てきたあの時代。弱小野球部の野球部員はおニャン子倶楽部に夢中だった。そんな、僕自身よりも10歳ほど上の世代の青春時代を描いた作品。
この時代に対する僕らのイメージは、この時代に世にでていた漫画やドラマのせいだろうか、「根性」とか「青春」とか、なんかどこか敬遠してしまうようなイメージばかり抱いてしまうが、時代は違えど、高校生などどの時代も似たようなものなのだろう。手を抜くことと女の子と仲良くなることばかり考えていたのかもしれない。
本作品で描かれる野球部員達も、そんな種類の人間。「努力」と「根性」はせずに目の前の人生を楽しく生きたいという考え方。それでもそんな彼らが、野球とその仲間を通じて、少しずつ変化していく様子を描いている。

ただ、あいつが見せてくれた夢があまりに美しかったから、それがやっぱり夢だとわかった瞬間、どうしていいのかわからなくなっただけなのだ。

夏休みのこの時期にぴったりな爽快な物語。
【楽天ブックス】「1985年の奇跡」