オススメ度 ★★★★★ 5/5
辰村祐介(たつむらゆうすけ)が勤める大手広告代理店の京橋第十二営業局に、わけありの18億のコンペの話が舞い込んできた。辰村(たつむら)は部長の立花英子(たちばなえいこ)や新入社員の戸塚英明(とつかひであき)らと共に 案件受注のためにチームを作って年明けのプレゼンの準備に動き出す。
注目度の割りに大した内容でなかった「テロリストのパラソル」によって、少し敬遠していた藤原伊織であるが、先日「てのひらの闇」を読んで少し見方が変わった。本作品は「てのひらの闇」と同様に知性と野性味を合わせ持つ中年のサラリーマンをメインに据えている。派手な事件や大きなテーマはなく、訴求力のあるキャッチコピーは似つかわしくないが、個性的で魅力ある作品に仕上がっている。
物語の大部分を占める広告代理店のオフィスの様子は、作者である藤原伊織の電通社員時代の様子をかなり忠実に描いているのだろう。仕事でプレゼンに取り組むことのある読者なら、本作品で描かれている駆け引きや考え方が、経験無しに描かれたものでないことはすぐにわかるはずだ。
本作品でメインとして扱っている18億のコンペは、大手家電メーカーの証券業務への進出のためのプロモーションという内容である。物語の時代設定が3,4年前であるため、今ほどFXやインターネットによるネットトレードも盛んではなく、プロジェクトに参加するメンバーの多くがホームトレード未経験者であるため、それを勉強しながら効果的なプロモーション案を模索していく姿が面白い。参加メンバーがそれぞれ得意分野を披露しながらプロジェクトを一つにまとめていく姿に、起業の理想形が見える。同時に、大企業ゆえに部署間の諍いや、契約社員蔑視、立場を利用したセクハラ。営業という職種ゆえの矛盾や葛藤。組織の中で仕事をする上で起こるであろうあらゆる要素が巧く取り入れらている。
個人的には広告代理店ゆえの考え方を特に興味深く読むことができた。
恐らく辰村(たつむら)などの中堅社員の会話だけで物語を描いたら多くの読者は話に着いていけないのだろう。そこに戸塚(とつか)という新入社員を読者目線に合わせて配置することによって、新入社員の教育模様を描くと共に、読者にも不自然さを感じさせずに業界用語を理解させ、物語を飽きさせないその手法が絶妙である。
また、登場人物達の多くがとても魅力的で、その存在に無駄がない。部長の立花英子(たちばなえいこ)には強く生きる理想の女性像を、新入社員の戸塚英明(とつかひであき)には自分を向上させるための忘れかけていた仕事への持つべき姿勢を見た気がした。
そして、物語はプロジェクトと平行して、辰村の25年前に分かれた2人の親友明子と勝哉とのエピソードにも絡んでくる。少年時代の回想シーンを効果的に交えることで、大手代理店の華やかな展開と、昭和のどこかさびしい風景をそれぞれ際立たせているようだ。辰村(たつむら)の新人戸塚(とつか)に対する助言の数々は、自己啓発本としてもオススメできそうである。世間の仕事に悩める人が「〇〇の仕事術」といったタイトルの内容の薄い本に2,000円も出そうとしているなら、この作品を読むことを勧めるだろう。著者の経歴を凝縮して、見事に小説という面白さに変えた作品である。
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