「火車」宮部みゆき

オススメ度 ★★★★★ 5/5
第6回山本周五郎賞受賞作品。9年程前に初めて読んで以来、今回で4回目の読了である。
休職中の刑事、本間俊介(ほんましゅんすけ)は、遠縁の男性からの依頼により、その男性の失踪した婚約者関根彰子(せきねしょうこ)の行方を探すことになった。本間(ほんま)は関根彰子(せきねしょうこ)の過去を知る過程で、別の一人の女性の存在を知るとともに、社会が作り出した悲しい現実と向き合っていくことになる。
この物語は常に本間(ほんま)の目線に立って進められていく。捜索の過程で見せる本間(ほんま)の人間観察眼に驚かされる。
物語は関根彰子(せきねしょうこ)の失踪した理由に絡んで、カード破産という社会問題に触れる。今の社会で便利に生きるうえでは必要不可欠なクレジットカード。紙一重の場所にあるカード破産という現実。二十歳かそこらの若者に一千万も二千万も貸す業者がいる現実。クレジットカードを利用している人のうち一体どれほどの人がその現実を理解しているのだろうか。そんな問いを自分自身にも投げかけるとともに、教育の在り方まで考えさせられてしまう。破産に追い込まれるような人たちに対してつい抱きがちな先入観は読み進めていくうちに薄れていくことだろう。
僕自身は、この社会問題だけがこの物語が訴えようとしているものではないと強く感じる。なぜなら登場人物たちの台詞や考え方が心を強くえぐるからだ。まるで直視したくない人間の心の中を見せ付けられるているかのようだ。
関根彰子(せきねしょうこ)の幼馴染みでもある、本多保(ほんだたもつ)の妻、郁美(いくみ)は突然友人からかかってきた電話にこんな感想を抱いた。

たぶん、彼女、自分に負けている仲間を探していたんだと思うな。会社を辞めて田舎へ引っ込んだあたしなら、少なくとも、東京にいて華やかにやっているように見える自分よりは惨めな気分でいるはずだって当たりをつけて

階段から落ちて死んだ関根彰子(せきねしょうこ)の母親。この事件を担当した境(さかい)刑事は母親の当時の気持ちをこう見ている。

酔っ払って、危ないからやめろといわれても、この階段を降りてたんですよ。それはね、そうやって何度か降りていれば、そのうち、どうかして足が滑って、パッと死ねるんじゃないか、そんなふうに考えてたからじゃないかと思うんですわ

そして物語後半では、破産だけでなく、そこに至る人間の心情にまで触れている。お金もなく、学歴もなく、能力もない。そういう人は昔は夢を見るだけで終わっていたのに、今は夢が叶ったような気分になれる方法がたくさんある。エステや美容整形や強力な予備校、ブランドなど、そして見境なく気軽に貸してくれるクレジット。世間のそこかしこに夢を見る人を待ち構えて「罠」が仕掛けてあるのだ。自分がそんな世の中の「罠」にかからないからといって、夢を見て「罠」にかかって人生を転げ落ちていく人たちを「愚か」と一言で片付けられるのだろうか。

どうしてこんなに借金をつくることになったのか、あたしにもよくわかんないのよね。あたし、ただ、幸せになりたかっただけなんだけど。

読み進めるうちにもう一人の女性の人物像も次第に明らかになっていく。彼女の背負っている過去は、不自由なく暮らしている僕等のような人間には到底理解できるものではない。彼女の発したこんな台詞がそのことを伝えてくれるだろう。

どうかお願い。頼むから死んでいてちょうだい、お父さん。

本間(ほんま)と同様に読者の多くもこの犯人と思われる女性を嫌いにはなれないのではないだろうか。むしろ、その強く孤独な生き方に感心するかもしれない。

わたしのところに遊びに来て、帰るときはいつも、じゃ、またねと言ってたんです。手を振って、また来ます、と。だけどあの時だけは、そうじゃなかった。さよなら、と言ったんです。わざわざ頭を下げて、さよならと言って帰ったんです

彼女は礼儀正しく優しい女性だったのだろう、人の心を思いやれる人間でもあっただろう。そして社会の犠牲者だった。辛い想いをたくさんしたからこそ彼女は強い心を育み、悲運な運命と決別する道を選んだ。彼女を一方的に責めることなどできやしない。彼女の心情を最後まで読者の想像に委ねたこの物語のラストが好きだ。
本間が携帯電話を持っていないあたりなど、初めて読んだときには感じなかった時代の違いを今は感じるが、何度読んでもこの物語から受ける衝撃は健在である。全体的には、カード破産という社会の問題を訴えているようにも取れるが、僕は、人間の醜い部分がじわじわ染み出してくるような印象を毎回受けるのである。


特別養子制度
従来の普通養子制度では、養子縁組をしても、実方の父母との関係は残っており、父母が養父母と実父母二組いることになっていたが、特別養子縁組をすると父母は養父母だけになる。
割賦
分割払いのこと。
買取屋
多重多額債務に苦しむものを助けるといって近づき、クレジットカードを作らせ、カードで買い物をさせたうえで、その商品を質屋などで換金して手数料を取る業者のこと。
利息制限法
貸金業者の金利を制限する法律。貸金業者の貸付金利の上限を、元本10万円未満は年率20%、元本10万円以上100万円未満は年率18%、元本100万円以上は年率15%と定めている。これを破っても罰則規定はないため有名無実化しており、現在、利息制限法を守っている貸金業者はほとんど存在しない。
出資法
年利29.2%を超える利息で金貸し業を営む事を禁止している法律で、違反すると5年以下の懲役又は3000万円以下の罰金が科せられる。
参考サイト
出資法と利息制限法について

【Amazon.co.jp】「火車」

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