「K・Nの悲劇」高野和明

オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
妊娠した夏樹果波(かなみ)と夫の修平(しゅうへい)は経済的な理由から中絶を決意する。しかし果波(かなみ)の中に突如別の女性の人格が現れ、子供を中絶から必死で守ろうとする。
物語は夫である修平(しゅうへい)と産婦人科出身の精神科医である磯貝(いそがい)の視点で進む。磯貝の視点はもちろん医者であるがゆえに専門的知識を持ち合わせ、果波(かなみ)の別人格の不可思議な言動を医学的に説明していく。その一方で、夫の修平(しゅうへい)は一般的な男を代表しているようだ。
修平(しゅうへい)は、人口妊娠中絶という決意をしたことで、落胆した果波の姿を見てようやく、ただ一瞬の快楽のためだけに性行為に走り、その結果できた人の命を法律的な咎めもなく処理することの重大さと、女性に与えた精神的な苦痛の大きさを知る。これは本作品を通して著者が、世の中の若い男女に向けて訴えかける一貫したメッセージであり、同時にそれは、性行為を煽るような昨今のメディアなどにも向けられている。そして、そんなテーマであるがゆえに、生命の重さに対する訴えも当然のように散りばめられている。

日本では一年間に百五十万人の女性が妊娠し、そのうちの三十四万人が中絶手術を受けるんです。中絶胎児が人間だと認められれば、日本人の死亡原因のトップはガンではなく、人口妊娠中絶ということになります

さらに磯貝(いそがい)の産婦人科医時代の経験が、そのテーマの重要性を読者の中にさらに強く印象付けていく。

どうしてぼくをこんなに早く外に出したの?

嬰児がそう言って抗議しているように見えた。法律では、妊娠二十一週以内の胎児は人間ではない。したがって中絶は殺人ではない。だがそんんな法律上の区分けは意味がないと思った。この子は生きたいのではないか…

中盤から、果波(かなみ)の中に現れた人格の行動は次第にエスカレートしていく。それによって憑依という霊の存在を信じかける修平(しゅうへい)と、解離性同一性障害という見解を最後まで貫き通し、知るはずのないことまで知っている果波(かなみ)の言動をこじつけとしか思えない説明で片付けていく磯貝(いそがい)の対比が面白い。そこには、どんな事象に対しても症例名を当て嵌めることの出来る現代の医学の矛盾と危うさが見える。

精神医学は科学であろうとするあまり、不可解な現象にも強引に説明をつけようとする嫌いはあります。現代の精神科医をタイムマシンに乗せて、イエス・キリストに会わせれば、目の前の青年は妄想性障害だと診断するでしょう。

言葉で説明できない出来事を何度も目にして、それによって、霊の存在へ傾倒しはじめる修平(しゅうへい)の姿は、特異でもなんでもなく、誰しもが持っている心の弱さだろう。そんな弱さに対して「情けないヤツ」と思わせない辺りが、病院の入院患者の間に起こった幽霊の話など、世の中で起きている不可思議な出来事にもしっかり触れている著者の構成の見事さなのだろう。
「生命の尊さ」という使い古されたテーマに、SF的ともオカルト的とも取れる不可解な要素と科学的見地からの要素を加えて、見事にまとめている。他の今までの高野和明作品にも共通して言えることであるが、その主張は世の中で言われていることと大きく隔たるものではない。本作品中で訴えられていることも結局は「命は大切」というよく言われることである。ただ、その伝え方に説教臭さは微塵も感じられない。読者は読み終えたあとには自らそのテーマについて深く考えようとするだろう。そこに高野和明の技術と個性が見える。


HLA
「ヒト白血球型:Human Leukocyte Antigen」で、その頭文字からHLAと呼ばれる。
群発自殺
ある自殺がセンセーショナルに報道されることにより、他の自殺が誘発され、流行的に自殺者が増えること。
希死念慮
死にたいと思うこと。自殺願望とは異なり、他人からはわかりづらい理由によるもの。

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