オススメ度 ★★★☆☆ 3/5
妊娠した夏樹果波(かなみ)と夫の修平(しゅうへい)は経済的な理由から中絶を決意する。しかし果波(かなみ)の中に突如別の女性の人格が現れ、子供を中絶から必死で守ろうとする。
物語は夫である修平(しゅうへい)と産婦人科出身の精神科医である磯貝(いそがい)の視点で進む。磯貝の視点はもちろん医者であるがゆえに専門的知識を持ち合わせ、果波(かなみ)の別人格の不可思議な言動を医学的に説明していく。その一方で、夫の修平(しゅうへい)は一般的な男を代表しているようだ。
修平(しゅうへい)は、人口妊娠中絶という決意をしたことで、落胆した果波の姿を見てようやく、ただ一瞬の快楽のためだけに性行為に走り、その結果できた人の命を法律的な咎めもなく処理することの重大さと、女性に与えた精神的な苦痛の大きさを知る。これは本作品を通して著者が、世の中の若い男女に向けて訴えかける一貫したメッセージであり、同時にそれは、性行為を煽るような昨今のメディアなどにも向けられている。そして、そんなテーマであるがゆえに、生命の重さに対する訴えも当然のように散りばめられている。
さらに磯貝(いそがい)の産婦人科医時代の経験が、そのテーマの重要性を読者の中にさらに強く印象付けていく。
中盤から、果波(かなみ)の中に現れた人格の行動は次第にエスカレートしていく。それによって憑依という霊の存在を信じかける修平(しゅうへい)と、解離性同一性障害という見解を最後まで貫き通し、知るはずのないことまで知っている果波(かなみ)の言動をこじつけとしか思えない説明で片付けていく磯貝(いそがい)の対比が面白い。そこには、どんな事象に対しても症例名を当て嵌めることの出来る現代の医学の矛盾と危うさが見える。
言葉で説明できない出来事を何度も目にして、それによって、霊の存在へ傾倒しはじめる修平(しゅうへい)の姿は、特異でもなんでもなく、誰しもが持っている心の弱さだろう。そんな弱さに対して「情けないヤツ」と思わせない辺りが、病院の入院患者の間に起こった幽霊の話など、世の中で起きている不可思議な出来事にもしっかり触れている著者の構成の見事さなのだろう。
「生命の尊さ」という使い古されたテーマに、SF的ともオカルト的とも取れる不可解な要素と科学的見地からの要素を加えて、見事にまとめている。他の今までの高野和明作品にも共通して言えることであるが、その主張は世の中で言われていることと大きく隔たるものではない。本作品中で訴えられていることも結局は「命は大切」というよく言われることである。ただ、その伝え方に説教臭さは微塵も感じられない。読者は読み終えたあとには自らそのテーマについて深く考えようとするだろう。そこに高野和明の技術と個性が見える。
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